前田利明
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永14年12月14日(1638年1月28日) |
死没 | 元禄5年5月13日(1692年6月27日) |
改名 | 万吉丸(幼名)→利明 |
別名 | 利成、通称:美濃、大蔵 |
戒名 | 大機院賢翁紹英大居士 |
墓所 | 石川県加賀市の実性院 |
官位 | 従四位下、飛騨守、贈正四位 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 加賀大聖寺藩主 |
氏族 | 前田氏 |
父母 |
父:前田利常、母:長連龍娘・栗(南嶺院) 養父:前田利治 |
兄弟 | 亀鶴姫(森忠広正室)、光高、小媛、利次、利治、満姫(浅野光晟正室)、富姫(昌子、八条宮智忠親王妃)、夏姫、春姫(本多政長正室)、利明、松姫(松平定重正室)、龍姫、鶴丸、久万 |
妻 |
正室:上杉定勝の娘・亀姫(法泉院) 継室:本多忠義の娘・勢幾(慈眼院) |
子 | 万吉、杢之助、利直、利昌、菊姫(松平信庸継室)、松(水野忠周正室)、友(南部通信正室、秋林院)、佐野(溝口重元正室、実相院) |
前田 利明(まえだ としあき)は、江戸時代前期の大名。加賀国大聖寺藩の第2代藩主。
生涯
[編集]寛永14年(1637年)12月14日、加賀藩2代藩主・前田利常の庶子(五男)として金沢に生まれる。万治2年(1659年)、兄で大聖寺藩初代藩主であった前田利治の養子となり、翌万治3年(1660年)に利治が死去したため跡を継ぐ。
治水工事や新田開発、用水路改修や製紙業の導入など、富国政策を重視して藩政を確立した名君であった。元禄5年(1692年)5月13日に死去し、跡を子の利直が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女
- 前田万吉(長男)生母は法泉院(正室)
- 前田杢之助(次男)生母は慈眼院(継室)
- 前田利直(三男)生母は慈眼院(継室)
- 前田利昌(四男)生母は慈眼院(継室)
- 菊姫 ー 松平信庸継室、生母は慈眼院(継室)
- 松 ー 水野忠周正室、生母は慈眼院(継室)
- 友、秋林院 ー 南部通信正室、生母は慈眼院(継室)
- 佐野、実相院 ー 溝口重元正室、生母は慈眼院(継室)