北畠親顕
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北畠 親顕(きたばたけ ちかあき、慶長8年9月28日(1603年11月1日) - 寛永7年8月3日(1630年9月9日))は、江戸時代初期の公家。権中納言・中院通勝の次男。官位は正四位下・参議。
経歴
[編集]慶長12年(1607年)従五位下に叙爵。慶長17年(1612年)元服して、天正10年(1582年)北畠信意(織田信雄)の織田氏への復姓後に途絶えていた北畠家の名跡を継承し、従五位上・侍従に叙任される。
慶長20年(1615年)正五位下・左近衛少将に叙任されると、元和5年(1619年)従四位下、元和8年(1622年)従四位上・左近衛権中将、寛永3年(1626年)正四位下と近衛次将を務めながら昇進。寛永4年(1627年)参議に任ぜられ公卿に列した。
寛永7年(1630年)8月3日薨去。享年28。親顕が嗣子なく没したため、再び北畠家は断絶した。
官歴
[編集]『諸家伝』による。
- 慶長12年(1607年) 正月6日:叙爵(従五位下)
- 慶長17年(1612年) 12月28日:元服、昇殿、従五位上、侍従
- 慶長20年(1615年) 正月5日:正五位下。正月11日:左近衛少将
- 元和5年(1619年) 12月25日:従四位下
- 元和8年(1622年) 正月5日:従四位上。正月13日:左近衛権中将
- 寛永3年(1626年) 8月13日:正四位下
- 寛永4年(1627年) 9月24日:参議、中将如元
- 寛永7年(1630年) 8月3日:薨去
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年