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吉村廉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
よしむら れん
吉村 廉
生年月日 (1903-01-28) 1903年1月28日
没年月日 (1988-01-21) 1988年1月21日(84歳没)
出身地 日本の旗 日本佐賀県東松浦郡浜玉町[1]
職業 映画監督
主な作品
白雪先生と子供たち
アカシアの雨がやむとき
美しい十代
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吉村 廉(よしむら れん、1903年1月28日 - 1988年1月21日[1])は、佐賀県東松浦郡浜玉町出身の日本映画監督[2][1]

略歴

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佐賀県立唐津中学校(旧制)、東京写真専門学校卒業[1]。1925年、助監督として日活京都大将軍撮影所へ入所[3]。その後、太秦撮影所では内田吐夢監督の助監督を務め、1931年に『作業服』で監督デビューを果たした[3][1]

歌謡曲を題材とした、歌謡映画を多く監督したが、1965年(『 大日本チャンバラ伝 』を監督した後)監督業から引退した[1]

主な作品

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  • 十二番の聖歌 (1935年、日活多摩川)
  • 令嬢殺し犯人 (1938年、日活多摩川)
  • 我が家の大将(1939年、日活多摩川)
  • 最後の帰郷(1945年、大映)※田中重雄と共同担当。
  • 絢爛たる復讐 (1946年、大映)
  • 美貌の顔役 (1949年、大映東京)
  • 検事と女看守(1949年、大映東京)
  • 白雪先生と子供たち (1950年、大映東京)
  • 女医の診察室(1950年、新東宝=滝村プロ)
  • 街の小天狗 (1952年)
  • 呼子星
  • 紅椿 (1953年)
  • 虹の谷 (1955年)
  • 少年死刑囚
  • 初恋カナリヤ娘
  • ドラムと恋と夢 (1956年)
  • デンスケの宣伝狂
  • ただひとりの人
  • 青春の冒険 (1957年)
  • 哀愁の園
  • 忘れ得ぬ人 (1958年)
  • 東京野郎と女ども
  • 星は何でも知っている
  • 少女と風船
  • お笑い三人組
  • お月さん今晩わ
  • 東京ロマンス・ウェイ (1959年)
  • 泣かないで
  • 小雨の夜に散った恋 (1960年)
  • 香港秘令0号
  • よせよ恋なんて
  • 東京のお転婆娘 (1961年)
  • 天に代わりて不義を討つ
  • 一本杉はなにを見た
  • お父ちゃんは大学生
  • サラリーマン物語 敵は幾万ありとても (1962年)
  • 霧に消えた人 (1963年)
  • 結婚作戦要務命令
  • サラリーマン物語 勝って来るぞと勇ましく
  • アカシアの雨がやむとき
  • 美しい十代 (1964年)
  • 大日本ハッタリ伝 (1965年)
  • 大日本チャンバラ伝

脚註

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  1. ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典「吉村 廉」の解説”. KOTOBANK. 2022年8月17日閲覧。
  2. ^ 吉村廉”. Kinenote. 2022年8月17日閲覧。
  3. ^ a b 吉村廉”. 映画DB. 2022年8月17日閲覧。