喜田華堂
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喜田 華堂(きだ かどう、1802年(享和2年) - 1879年(明治12年)2月7日)は、江戸時代後期から明治時代初期の日本画家。名古屋における岸派の祖。名を景静。字は伯寿。号に竹石居、半舟翁など。美濃国不破郡今須(現在の岐阜県関ケ原町)出身。
略歴
[編集]若くして両親を亡くして上洛、岸駒、岸岱に師事し日本画を学ぶ。嘉永元年(1848年)頃、広井水車町(名古屋市)で開業し評判となり、尾張藩に招かれて藩御用絵師となった。
代表作
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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妙應大姉縁起図絵 | 絹本著色 | 双幅 | 157.0x86.0(各) | 妙應寺[1] | 1864年(文久4年3月) | ||
富貴祝寿之図 | 1幅 | 149.5x71.3 | 一宮市博物館[2] | 1877年(明治10年) | 一宮市博物館は華堂の作品を本作を含めて12点所蔵している。 |
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『幽霊画と冥界』 平凡社〈別冊太陽 日本のこころ264〉2018年8月24日、pp.102-103、ISBN 978-4-582-92264-6。
- ^ 一宮市博物館データ検索システム|木田華堂「冨貴祝寿之図」