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嘉悦敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嘉悦 敏
生誕 1870年1月9日
肥後国 熊本藩
死没 (1944-01-24) 1944年1月24日(74歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1891年 - 1919年
最終階級 陸軍少将
除隊後 帝国輪業取締役・社長、根遠鉱業監査役
墓所 多磨霊園渋谷区神宮前長泉寺
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嘉悦 敏(かえつ さとし、1870年1月9日明治2年12月8日[1][注釈 1] - 1944年昭和19年)1月24日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功五級[3]

経歴・人物

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嘉悦氏房(旧 熊本藩士、1100石[4])の次男として肥後国(現・熊本県)に生まれる[5][6][3]

1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[2][7]。翌年、陸軍騎兵少尉に任官する[5][6][3]

1911年(明治44年)5月に騎兵第26連隊長を経て、1912年(明治45年)1月に参謀本部附となり雲南に駐在する[7]。 ついで、1913年大正2年)3月に騎兵第1連隊附、同年8月に陸軍騎兵大佐・騎兵第23連隊長、1915年(大正4年)8月に軍馬補充部本部部員、1916年(大正5年)8月に静岡俘虜収容所長を経て、1918年(大正7年)7月に陸軍少将に進級と同時に待命、1919年(大正8年)1月に予備役に、1928年(昭和3年)4月に後備役に編入した[2][7]

退役後は、帝国輪業取締役および社長、根遠鉱業監査役を歴任した[5][6][3]

親族

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栄典

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勲章

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録』、『日本陸軍将官辞典』では明治2年10月生。

出典

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  1. ^ 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿』、昭和6年4月1日調。
  2. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』201頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録』第8版、カ40頁。
  4. ^ 秦 2005, p. 45, 第1部 主要陸海軍人の履歴:陸軍:嘉悦敏
  5. ^ a b c 『人事興信録』第6版、か30頁。
  6. ^ a b c 『人事興信録』第7版、か34頁。
  7. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』101頁。
  8. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2)東京大学出版会、2005年。 
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第6版、人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第7版、人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。