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坂口武市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂口 武市
生年月日 1883年7月23日
出生地 鳥取県
没年月日 (1958-03-05) 1958年3月5日(74歳没)
出身校 早稲田大学
前職 会社重役
配偶者 妻・坂口ふみ子
親族 養父・初代坂口平兵衛(貴族院議員)

日本の旗 米子市議会議員
在任期間 1931年 -
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坂口 武市明治16年(1883年7月23日 - 昭和33年(1958年3月5日))は、日本実業家政治家旧姓井上。米子商工会議所会頭、県会議員、米子市議会議員を務めた。鳥取県平民[1]

経歴

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鳥取県人・井上豊治郎の二男[2]、井上喜代太の弟[1]初代平兵衛の養子[2]。坂口家は藩政時代“沢屋”と称し、綿、木綿仲買業を営んでいた[3]。初代平兵衛が、「坂口財閥」と呼ばれるように家業を発展させた。

明治39年(1906年)7月早稲田大学法学科卒業[4]山陰電気常務取締役に就任[4]。明治42年(1909年)、分家して一家を創立す[1]

大正15年(1926年)8月合併により広島電気(中国電力の前身)取締役山陰支社長[4]となる。

大正2年(1913年)9月の町会議員当選以来、昭和2年(1927年)3月まで13年7か月にわたり町勢伸展に尽くし[4]、同6年(1931年)6月に市会議員当選と共に市会議長に選任され、同10年(1935年)6月再選まで通算20有余年議員の職にあり、その間2期県会議員に当選した[4]

会頭在任は3期12年間にわたり、同16年(1941年)3月に顧問に推挙された[4]

産業功労者として県知事より、また自治功労者として米子市長より、それぞれ表彰を受けた[4]

人物像

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『財界人物選集』(1939年)496頁によれば、坂口の役職は「米子商工会議所会頭、米子市会議員、隠岐電気(株)社長、広島電気、米子電車軌道米子銀行坂口商店各(株)取締役」などである。

趣味は謡曲[2]。宗教は浄土宗[2]。住所は米子市西町[2]

家族・親族

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養父初代坂口平兵衛

坂口家

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鳥取県米子市尾高町、米子市西町[2]

親戚

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参考文献

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  • 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ七一頁
  • 『財界人物選集』(1939年)496頁
  • 『米子経済九十年の歩み』(1981年、編集兼発行者 米子商工会議所)、243頁
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 424-433頁

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『人事興信録 7版』(大正14年)さ八五
  2. ^ a b c d e f 『財界人物選集』、496頁
  3. ^ 『米子商業史』410頁
  4. ^ a b c d e f g 『米子経済九十年の歩み』243頁
  5. ^ 『財界人物選集』(1939年)496頁には「坂口平兵衛養女」とある
  6. ^ a b 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ七一頁
  7. ^ a b c d 『人事興信録 7版』(大正14年)い二〇