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坂田大輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂田 大輔
FC東京時代(2011年)
名前
愛称 サカティ[1]、サンキュー
カタカナ サカタ ダイスケ
ラテン文字 SAKATA Daisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-01-16) 1983年1月16日(41歳)
出身地 神奈川県横浜市港南区[2]
身長 174cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW / MF[3]
利き足 右足[1]
ユース
1995-1998 日本の旗 横浜フリューゲルス
1999-2000 日本の旗 横浜F・マリノス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2010 日本の旗 横浜F・マリノス 247 (46)
2011 ギリシャの旗 アリス・テッサロニキ 6 (0)
2011 日本の旗 FC東京 10 (1)
2012-2017 日本の旗 アビスパ福岡 201 (30)
通算 464 (77)
代表歴2
2002-2003  日本U-19 / U-20 4 (4)
2003-2004  日本U-22 / U-23
2006 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年12月16日現在。
2. 2006年8月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

坂田 大輔(さかた だいすけ、1983年1月16日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダー。元日本代表

日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。日本サッカー協会登録仲介人。

来歴

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幼稚園年長の時にサッカーを始める[4]。中学校進学と共に横浜フリューゲルスの下部組織に加入したが、クラブが横浜マリノスと合併したことに伴い[4][5]横浜F・マリノスユースに所属することとなった[注 1]2000年クラブユース選手権で優勝[4]

2001年にユースからトップチームに昇格し、同年6月16日FC東京戦(横浜国際)でJリーグ初出場[7]。同8月18日柏レイソル戦(柏の葉)でJリーグ初得点を記録した[7]

2003年U-20日本代表としてFIFAワールドユースに参加。大熊清監督の下でスーパーサブとして起用され[7][8] 4得点を挙げてSilver Shoe(得点王)に輝いた[注 2]ものの、準々決勝のブラジル戦で対峙したDFダニエウ・アウヴェスらには歯が立たず、個人の力量差を痛感[7]。海外リーグでのプレーを考えるようになった[7][9]

2003年・2004年には横浜FMのレギュラーFWとして、Jリーグ連覇に貢献[10]。目標としていたリーグ戦での二桁得点も達成し、イタリア・SSラツィオへの移籍交渉を進めていたが、負傷により立ち消えとなった[10]。以後、横浜FMでの出場機会を減らしつつあったが、坂田のスピードと献身的守備への評価は高く[3]2006年にはイビチャ・オシムが率いるA代表に初招集。同年8月9日トリニダード・トバゴ戦にて国際Aマッチ初出場を記録した[5]2008年オフには神戸から獲得オファーを受けたが[11]、違約金提示額の隔たりが埋まらず[12] 残留。2010年オフに横浜FMから戦力外通告を受け退団[5]

2011年1月、ギリシャ・スーパーリーグアリス・テッサロニキへ移籍[13][14]。主にミッドフィールダー(サイドハーフ)でプレー[3]UEFA ELを経験するなど手応えも掴んだが[3]、クラブは深刻な財政難に陥っており、半年での退団を余儀なくされた[15]

2011年8月、かつてワールドユースで指揮を執っていた大熊に高く評価され[15]、大熊が監督を務めるFC東京へ完全移籍[16]。相手DFの裏(背後)を突くFW[注 3]として起用された。

2012年アビスパ福岡へ完全移籍[18][19]。同年の開幕戦熊本戦で早速得点を挙げ、FWに猛烈なプレスを要求する戦術にも適応[20]。プロ入り以来初となるゲームキャプテンを務め[21]、チームの大黒柱として奮闘を続けた[22]

2017シーズンをもって福岡との契約が満了となる。現役続行を希望し移籍先を探すもののまとまらず、2018年3月15日に現役引退を発表。「17年間大きな怪我もなくプロの世界で戦えた自分を誇りに思いたい」とコメントした[23][24]。 4月1日の栃木SC戦の試合後に引退セレモニーが行われた。

エピソード

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  • 前線からの守備も特徴の一つであり、アジアユース2002カタール)の試合中に大熊清監督が「サンキュー坂田! サンキューな」と坂田の守備を讃えた一声はサッカーファンの間で話題となった[10][15]
  • 小林大悟とは知己の仲。アジアユース2002における坂田のゴールパフォーマンスを2人で考案したり[25]、共に初参加となったA代表の合宿では空き時間を共に過ごしたりしている[26]。ギリシャへの移籍の際も、小林に相談した[9]
  • 佐伯日菜子は2002年に自らのブログで、元夫である奥大介が当時チームメートであった坂田の事を気に入っていたようだと記している[27]
  • 京都の老舗呉服店石勘の男性向け企画「Men's J-mode」のイメージキャラクターを務めている。
  • 2009年2月17日、女優・タレントの福岡サヤカと入籍した[28]
  • 愛犬家である。
  • ヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦のファーストレグ、マンチェスター・シティFC戦での相手選手のFWエディン・ジェコを観て「DFもごついんだけど、あいつはすごかった。試合前にピッチ横に並んでスタンバイしているとき、腕や脚の太さを見て、え…と、ほとんどドン引きするほど。」とジェコの巨体に驚いていた[29]
  • 選手引退後は佃ロベルトが代表取締役を務める株式会社スポーツコンサルティングジャパン所属の日本サッカー協会登録仲介人として活動している[30]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 横浜FM 29 J1 11 2 5 0 0 0 16 2
2002 19 1 0 0 2 1 21 2
2003 18 25 6 6 1 1 0 32 7
2004 11 28 10 5 1 1 1 34 12
2005 29 5 4 1 2 0 35 6
2006 19 4 2 0 3 2 24 6
2007 34 10 9 3 2 2 45 15
2008 32 1 7 1 3 0 42 2
2009 30 6 10 1 3 2 43 9
2010 20 1 4 0 1 0 25 1
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯エラーダス杯 期間通算
2010-11 アリス 88 スーパーリーグ 6 0 - - 6 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 FC東京 38 J2 10 1 - 2 0 12 1
2012 福岡 15 40 8 - 1 0 41 8
2013 11 40 11 - 0 0 40 11
2014 31 5 - 1 0 32 5
2015 35 3 - 3 0 38 3
2016 J1 24 2 5 0 0 0 29 2
2017 J2 31 1 - 0 0 31 1
通算 日本 J1 271 48 57 8 18 8 346 64
日本 J2 187 29 - 7 0 194 29
ギリシャ スーパーリーグ 6 0 - - 6 0
総通算 464 77 57 8 25 8 546 93

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 横浜FM 11 4 1
2005 2 1
UEFAUEFA EL
2010-11 アリス 88 2 0
通算 AFC 6 2
通算 UEFA 2 0

その他の国際公式戦

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2006年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2006 1 0
通算 1 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2006年08月09日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ブラジル ○2-0 イビチャ・オシム キリンチャレンジカップ

獲得タイトル

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脚注

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注釈
  1. ^ 坂田は後年、この時の心境について、もうサッカーを辞めようかなと思ったと回想している[6]
  2. ^ FIFA主催の世界大会で日本人が得点王を獲得したのは坂田が初である[5]
  3. ^ 相手DFにポジションを下げさせ、結果、全体を間延びさせることが狙いにある[17]
出典
  1. ^ a b c d 選手データベース 坂田大輔”. 2010年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  2. ^ SPECIAL INTERVIEW (PDF) 横浜市 (2010年)
  3. ^ a b c d アンチ・ドロップアウト 敗れざるアスリート 第3章 Vol.3 (3)”. 2012年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 集英社
  4. ^ a b c d PLAYER'S HISTORY 2008 FILE 040”. 2010年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 Jリーグ選手協会 (2008年10月10日)
  5. ^ a b c d 日本人選手情報 坂田大輔 スポーツナビ
  6. ^ 坂田大輔・連載コラム「ギリシャ戦記」(9):大切なもの goal.com (2011年4月29日)
  7. ^ a b c d e アンチ・ドロップアウト 敗れざるアスリート 第3章 Vol.3 (1)”. 2012年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 集英社
  8. ^ ワールドユース現地リポート (4) スポーツナビ (2003年12月1日)
  9. ^ a b 坂田大輔・連載コラム「ギリシャ戦記」(5):遅すぎるということはない goal.com (2011年3月24日)
  10. ^ a b c アンチ・ドロップアウト 敗れざるアスリート 第3章 Vol.3 (2)”. 2012年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 集英社
  11. ^ 「神戸が横浜M坂田に正式オファー…移籍金1億円超」 スポーツ報知、2009.01.14
  12. ^ 横浜坂田、神戸との移籍交渉期限は26日 日刊スポーツ (2009年1月20日)
  13. ^ a b c d 坂田大輔選手 アリス・テッサロニキFCへ移籍のお知らせ”. 2011年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 横浜F・マリノス (2011年1月24日)
  14. ^ Daisuke Sakata signs for ARIS FC アリス・テッサロニキ (2011年1月20日)(英語)
  15. ^ a b c 坂田が移籍初ゴール、「サンキュー・サカタ!」の大歓声も“あの人”からは「サンキューと言われなかった」 ゲキサカ (2011年9月11日)
  16. ^ 坂田大輔選手 完全移籍加入決定のお知らせ”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 FC東京 (2011年8月10日)
  17. ^ 【第91回天皇杯 3回戦 FC東京 vs 神戸】プレビュー J's GOAL (2011年11月15日)
  18. ^ 坂田大輔選手 アビスパ福岡へ完全移籍のお知らせ”. 2012年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 FC東京 (2012年1月11日)
  19. ^ 坂田 大輔 選手 FC東京より完全移籍加入のお知らせ アビスパ福岡 (2012年1月11日)
  20. ^ リーグ戦300試合出場達成の坂田大輔、「個人の力で点取る局面も必要」と新たなスタイルを模索 blogola (2013年3月29日)
  21. ^ プロ人生初のキャプテンマークを巻いた坂田「勝つことができたし、良い記念になりました」 blogola (2013年5月27日)
  22. ^ アビスパ 大黒柱の坂田 来季契約更新 西日本新聞 (2013年12月14日)
  23. ^ 坂田 大輔 選手 現役引退のお知らせ”. アビスパ福岡 (2018年3月15日). 2018年3月15日閲覧。
  24. ^ 元日本代表の坂田大輔が引退「戦えた自分を誇りに」”. 日刊スポーツ (2018年3月15日). 2018年3月15日閲覧。
  25. ^ a b 「突き刺すスピード」”. 2007年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2002年11月27日)
  26. ^ 【KIRIN WORLD CHALLENGE キリンチャレンジカップ2006】8/7練習後の日本代表選手ほかコメント J's GOAL (2006年8月7日)
  27. ^ 大好きな HINAKO SAEKI'S GO AHEAD! FLY AWAY! 2002.11.5付記事
  28. ^ 坂田大輔選手 入籍のお知らせ 横浜F・マリノス公式サイト 2009.2.23付ニュースリリース
  29. ^ 坂田大輔・連載コラム「ギリシャ戦記」
  30. ^ 杉山孝 (2021年3月6日). “「消火器で発煙筒を…」「お前、忍者か!?」坂田大輔が知るギリシャサッカーの“ヤバさ”【香川真司にエール】”. Sports Graphic Number. 2021年8月20日閲覧。
  31. ^ 06.08.09 19:20キックオフ 東京・国立霞ヶ丘競技場 KIRIN WORLD CHALLENGE キリンチャレンジカップ2006 日本代表 対 トリニダード・トバゴ代表 日本サッカー協会
  32. ^ 06.08.16 19:20キックオフ 新潟・新潟スタジアム ビッグスワン AFCアジアカップ2007予選大会 グループA 日本代表 対 イエメン代表 日本サッカー協会
  33. ^ 2007 J.LEAGUE AWARDS Jリーグ

関連項目

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外部リンク

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