塚本三
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塚本 三 つかもと ぞう | |
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生年月日 | 1889年4月21日 |
出生地 | 岐阜県土岐郡稲津村(現・瑞浪市稲津町) |
没年月日 | 1952年8月25日(63歳没) |
出身校 | 名古屋中学校 |
所属政党 |
(立憲民政党→) 無所属 |
第15-16代 名古屋市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年2月21日 - 1952年8月25日 |
選挙区 | 旧愛知1区(戦前) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1937年5月1日 - 1942年4月30日 |
名古屋市会議員 | |
在任期間 | 1921年 - 1937年 |
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。公選初の名古屋市長(2期)。戦前は衆議院議員(1期)、名古屋市会議員などを務めた。旧姓は井箟。
経歴
[編集]岐阜県土岐郡稲津村(現・瑞浪市稲津町)出身。幼くして塚本竜三郎の養子となる[1]。稲津小学校、瑞浪高等小学校卒業。1907年、旧制名古屋中学校卒業[1]。
日本陶器、森村組を経て、1920年2月に名古屋新聞政治記者となる。
1921年10月、名古屋市会議員に就任。1922年3月、名古屋新聞編集長となる。1928年2月、名古屋新聞を退社。
1937年、第20回衆議院議員総選挙で当選し、立憲民政党の衆議院議員となる。1942年、名古屋市会議長に就任。
1947年、公選制となった名古屋市長選挙に立候補し、初当選した。1951年の市長選では、名古屋新聞の先輩にあたる小林橘川を558票の僅差でかわし再選[2]。
1952年5月、第4代全国市長会会長に就任。胃潰瘍が再発し、同年8月3日から東区下竪杉町の市長公舎で療養していたが、8月25日に死去した[1]。63歳没。