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大垣市立川並小学校

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大垣市立川並小学校
地図北緯35度20分14.56秒 東経136度38分18.05秒 / 北緯35.3373778度 東経136.6383472度 / 35.3373778; 136.6383472座標: 北緯35度20分14.56秒 東経136度38分18.05秒 / 北緯35.3373778度 東経136.6383472度 / 35.3373778; 136.6383472
国公私立の別 公立学校
設置者 大垣市
設立年月日 1872年
共学・別学 男女共学
学校コード B121220200128 ウィキデータを編集
所在地 503-0842
岐阜県大垣市馬の瀬町1500番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大垣市立川並小学校(おおがきしりつ かわなみしょうがっこう)は、岐阜県大垣市馬の瀬町にある公立小学校

概要

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  • 通学区域は小泉町、直江町、平町、古宮町、米野町、米野町1-3丁目、深池町、牧新田町、難波野町、今福町、馬瀬町であり、公立中学校の進学先は大垣市立江並中学校及び大垣市立東中学校(小泉町、直江町)である[1]

沿革

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  • 1872年(明治5年) - 安八郡平村(現・大垣市)の養楽寺において有志の手で教育が開始される。
  • 1873年(明治6年) - 平村、馬瀬村(現・大垣市)が共同でに遵道義校が設置される。
  • 1873年(明治6年) - 古宮村、米野村、深池村(現・大垣市)が共同で、謙益学校を設置する。
  • 1873年(明治6年) - 牧新田村、難波野村、今福村(現・大垣市)が共同で、興譲学校を設置する。
  • 1879年(明治12年) - 謙益学校が移転。有始学校に改称する。
  • 1880年(明治13年) - 遵道義校が遵道小学校に改称する。
  • 1880年(明治13年) - 直江村に世保学校が設置される。
  • 1886年(明治19年) - 有始学校が有始尋常小学校に改称する。
  • 1886年(明治19年) - 遵道小学校が遵道簡易小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年) - 有始尋常小学校と興譲学校が統合し、有始興譲簡易小学校になる。
  • 1890年(明治23年) - 世保学校などが遵道簡易小学校と統合され、遵道尋常小学校になる。
  • 1894年(明治27年) - 遵道尋常小学校が平村尋常小学校に改称される。
  • 1894年(明治27年) - 有始興譲簡易小学校が難波野尋常小学校に改称される。
  • 1897年(明治30年) - 古宮村、小泉村、直江村、平村、米野村、深池村、難波野村、今福村が合併して川並村となる。馬瀬村は牧村(現・安八町)と合併したため、牧尋常小学校(現安八町立牧小学校に合流する。
  • 1901年(明治34年) - 平村尋常小学校は川並第一尋常小学校、難波野尋常小学校は川並第二尋常小学校に改称する。
  • 1903年(明治36年) - 川並第一尋常小学校と川並第二尋常小学校が統合され、川並尋常小学校になる。川並第二尋常小学校は難波野分教場になる。
  • 1906年(明治39年) - 旧古宮村に移転し、川並尋常高等小学校に改称する。同時に難波野分教場が廃止される。旧今福村の生徒を浅草尋常小学校(現・大垣市立江東小学校)に委託する(1909年まで)。
  • 1941年(昭和16年) - 川並国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 川並村立川並小学校に改称する。
  • 1948年(昭和23年) - 安八郡川並村、牧村の一部(旧・馬瀬村)が大垣市に編入され、大垣市立川並小学校に改称する。校区は川並村と旧・馬瀬村になる。
  • 1956年(昭和31年) - 現在地に移転。
  • 1974年(昭和49年) - 現校舎になる。
  • 2005年(平成17年)-創立100周年を迎える。

交通機関

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脚注

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  1. ^ 大垣市立小中学校の通学区域等を定める規則

関連項目

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外部リンク

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