大川浩
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県伊予郡砥部町[1] |
生年月日 | 1956年7月10日(68歳) |
身長 体重 |
175 cm 69 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1974年 ドラフト3位 |
初出場 | 1977年4月6日 |
最終出場 | 1980年9月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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大川 浩(おおかわ ひろし、1956年7月10日 - )は、愛媛県伊予郡砥部町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]新田高等学校では1973年、エースとして秋季四国大会県予選準決勝に進むが今治西高に敗退。翌1974年春季四国大会県予選決勝で松山東高を降すが、選抜出場の新居浜商とのチャレンジマッチに敗れ本大会には進めなかった。同年夏の甲子園県予選は3回戦今治南高戦で史上5人目となるノーヒットノーランを達成したが、準決勝で帝京第五高に敗退した。
1977年に一軍に上がり、数少ないリリーフ左腕として活躍、同年には初勝利も記録する。
1978年は自己最多の40試合に登板。
1979年オフ、池田弘投手との交換トレードで西武に移籍[1]。
1980年には主に中継ぎとして25試合に起用される。
1982年限りで現役引退[1]。引退後は西武の打撃投手、スコアラーを務めた。
1978年8月30日、読売ジャイアンツの王貞治に通算800号本塁打を打たれた投手である[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1977 | 大洋 | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 101 | 20.2 | 28 | 4 | 11 | 0 | 1 | 8 | 0 | 1 | 16 | 13 | 5.57 | 1.89 |
1978 | 40 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 133 | 30.2 | 28 | 4 | 19 | 2 | 0 | 19 | 0 | 0 | 25 | 25 | 7.26 | 1.53 | |
1979 | 19 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 79 | 16.0 | 15 | 3 | 15 | 2 | 2 | 11 | 1 | 0 | 14 | 14 | 7.88 | 1.88 | |
1980 | 西武 | 25 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 139 | 32.1 | 25 | 3 | 17 | 0 | 2 | 23 | 1 | 0 | 17 | 15 | 4.22 | 1.30 |
通算:4年 | 108 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 452 | 99.2 | 96 | 14 | 62 | 4 | 5 | 61 | 2 | 1 | 72 | 67 | 6.03 | 1.59 |
記録
[編集]- 初登板:1977年4月6日、対読売ジャイアンツ2回戦(川崎球場)、5回表から3番手で救援登板、2回無失点
- 初勝利:1977年9月15日、対ヤクルトスワローズ22回戦(静岡県営草薙球場)、5回表から2番手で救援登板、2回1/3を3失点
- 初先発登板:1978年4月22日、対中日ドラゴンズ5回戦(横浜スタジアム)、2回無失点で勝敗つかず
背番号
[編集]- 49 (1975年 - 1976年)
- 23 (1977年 - 1979年)
- 48 (1980年 - 1981年)
- 66 (1982年)
- 97 (1983年 - 1985年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 大川浩 - NPB.jp 日本野球機構