大斜定石
大斜定石(たいしゃじょうせき)は囲碁の定石に付けられた俗称の一つで、目外しへのカカリから発生する定石を指す。派生する変化型が多く、複雑な戦いになることから、大斜百変、大斜千変とも呼ばれる、難解定石の代表的なもの。天保頃より特に研究が進み、現代でも多くの変化が生まれ続けている。
また、小目への小ゲイマガカリに三間バサミした場合も、大斜定石となる余地がある。
なお、本来「斜」はケイマを指す語で、「大斜」は大ゲイマに打つ手全般を意味する言葉であるが、単に「大斜」と言う場合でもこの目外しからの大ゲイマガケ定石を指すことが多い。
基本型
[編集]基本形は、目外しへの小目へのカカリに対して、黒△(図1)のところに打つ形で、この△の手を大斜ガケと言う。
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図1 |
この後の変化の中で、戦い含みの大型定石に発展するものも多く、その後の戦いには他の隅の配石も大きく関わってくるため、周囲の状況に応じた着手を選択しないと全局的に不利となる。黒の立場では、周囲に自分の強い形がある場合に特に効果を発揮する。
白の一般的な応手としては、図2のa、b、c、dがあり、特にdからの変化が多く、ここからの変化を指して大斜定石と呼ぶことも多い。
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図2 |
この他、小目へのケイマガカリ(目外しの位置)に対する三間バサミに対して大斜ガケが打たれることも多く、これも大斜定石の一部として扱われている。
代表的な図
[編集]ナラビ
[編集]ナラビ(白△、図3)と応じた場合は、黒1、白2で一段落し、黒はこの後上辺に展開するのが一般的。この形は変化が少なく、白からは最もマギレの無い形であるが、黒から大斜でなくケイマガケ(黒1の右)に打って白△、黒1の右下、白2と進む定石に比べると黒の形に弱点がなく、黒に不満の無い進行と言える。本因坊秀和、秀策の碁では、このナラビ型で打った碁が多くある。
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図3 |
下ツケ
[編集]下ツケ(白△、図4)と応じた場合、黒はa、bの応手がある。
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図4 |
黒a(図5の黒1)の場合、以下白2、黒3、白4となり、穏やかな別れとなる。ほぼ互角の進行と考えられるが、これも黒からケイマガケする定石に比べると白が一本多く這っているところに、黒の満足がある。
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図5 |
黒b(図6の黒1)の場合、以下白2、黒3、白4、黒5、白6などの進行が考えられ、比較的穏やかな分かれであるが、白は陣笠の愚形であり、損を先にする点に不満を感じる可能性はある。
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図6 |
コスミツケ
[編集]コスミツケ(白△、図7)に対しては、黒1が普通であり、それに対して白はaとbの選択肢がある。どちらの場合も、白の実利、黒の勢力という別れになる。また白△に対して黒aと打てば、黒が一間バサミして白△とする定石と同型となる。
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図7 |
トビツケ
[編集]トビツケ(白△、図8)に対しては、黒1、白2、黒3まではほぼ必然で、続いて白a(下ツギ)と、白b(上ツギ)の変化がある。
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図8 |
下ツギ
[編集]下ツギ(白△、図9)に対しては、黒1の一手で、白2、黒3、白4までが自然な流れ。
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図9 |
続いて黒からは、a、b、cの3通りの打ち方があり(図10)、それぞれに膨大な変化があり、定石化されている。
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図10 |
中でも、黒5〜黒11などに進むのが比較的よく打たれる定石(図11)。部分的には互角だが、上辺左方に黒石がある場合には白が苦しい戦いになる。
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図11 |
- ※白10(6の2路下)
また黒7の手では、他にも多くの選択肢があり、中にはハメ手含みのものもある。
黒1の時に白2にアテ返す手は、上の定石が不利となる場合の手段で、以下黒9までも定石化された手順だが(図12)、通常は黒ややよしとされる。
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図12 |
- ※白6(1の上)、白8(1)
上ツギ
[編集]上ツギ(白△、図13)は、白のシチョウ有利が前提で、黒1から7まで定石で、部分的には黒の実利が大きいと見られるが、白先手であり、周囲とのバランスで有力である。
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図13 |
手抜き
[編集]黒の大斜ガケに対して、白は手抜きも有力な手法である。白が手抜きをしても、黒からもう1手で隅の白を取り切る手が無いため、ここを黒からもう1手連打されても、白としては利かしと見ることもできる。
小目三間バサミでの大斜ガケ
[編集]小目に対してコゲイマガカリして、三間にはさまれた時に、大斜ガケするのもある手で、ハサミが無い場合と似た経過を辿ることが多い。
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図14 |
高い三間バサミの場合の変化は、昭和50年代に三間高バサミが流行しだしてから研究された形。一例として黒9と愚形に下がるのが面白い手で、この他にも多くの変化があるが、未完成定石の分野となっている。
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図15 |
囲碁史上の大斜
[編集]井上門の秘手
[編集]本因坊丈和が名人位に就いた後の天保6年(1835年)、丈和追い落としを策する井上幻庵因碩が弟子の赤星因徹(先)を丈和に向かわせた一局。右上隅で三間バサミから大斜形が生じたが、33手目の黒1、白2、黒3が井門の秘手として研究されていた手で、序盤は黒有利に進むが、丈和が逆転勝利し、結核を病んでいた因徹は投了と同時に吐血し、1ヶ月後に世を去った。(因徹吐血の局)
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耳赤の局
[編集]本因坊秀策18歳時の井上幻庵因碩との対局として著名な「耳赤の局」でも、幻庵は大斜の新型を繰り出している(弘化3年,1846年)。この時の手順は互角の分かれとなり、現代においても定石とされている。
高川のコウ材
[編集]1956年の呉清源-高川秀格十番碁で、既に高川は先相先に打ち込まれた後の第9局。黒番高川は左下の黒の厚みを背景に左上で大斜をしかける。白は戦いを避けてアテ返しの定石に進もうと下図で白△にアテるが、黒は左下にコウ材ありとみて黒aと切り、以下白b抜き、黒cのコウ材、白コウツギ(d)、黒eの振り替わりとなった。高川は本局、第10局と連勝し、通算成績を4勝6敗で終える。
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石田、大斜でハメる
[編集]1978年、本因坊戦七番勝負第2局の加藤正夫本因坊(黒)-挑戦者石田芳夫(白)戦では、左下隅で白の目外しへの黒のカカリから大斜定石となったが、右下で白△が狙いの手で、下辺と右下の黒がカラミとなる白の理想的な進行。ここで白は優勢となったが、その後黒が逆転勝ち。七番勝負最終局でも石田は優勢な碁を落とし、1975年以来の本因坊復位はならなかった。
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依田名人4連覇
[編集]2003年、名人戦七番勝負第1局、依田紀基名人(黒)-挑戦者山下敬吾(白)戦では、白は左上の勢力を背景に左下隅で大斜ガケし、黒も戦いを回避して上ツギ定石を選択、さらに図の局面で通常は黒aと抜くところ黒△に打つなど工夫を凝らし、白の勢力の働きを制限して勝利。七番勝負も4-1で制して名人戦4連覇を達成。
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