大正村 (鳥取県)
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たいしょうそん 大正村 | |
---|---|
廃止日 | 1953年7月1日 |
廃止理由 |
編入合併 神戸村、大和村、美穂村、大正村、東郷村、明治村、豊実村、松保村、大郷村、吉岡村、千代水村、湖山村、末恒村、倉田村、面影村 → 鳥取市 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.1 km2 |
総人口 |
3,711人 (国勢調査[1]、1950年) |
隣接自治体 | 鳥取市、美穂村、東郷村、豊実村、松保村、千代水村 |
大正村役場 | |
所在地 | 鳥取県気高郡大正村大字古海字下村土居ノ下820番地 |
座標 | 北緯35度29分59秒 東経134度12分48秒 / 北緯35.4998度 東経134.213239度座標: 北緯35度29分59秒 東経134度12分48秒 / 北緯35.4998度 東経134.213239度 |
ウィキプロジェクト |
大正村(たいしょうそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。
概要
[編集]現在の鳥取市古海・徳尾・菖蒲・服部・野寺、および緑ケ丘1丁目・南安長1丁目の各一部に当たり[3]、千代川下流左岸の沖積地に位置した。
元々は蒲野部村と海徳村が組合役場を設置していたが、これを発展的解消し、時の年号を村名として大正村とした[4]。
鳥取市とは千代川を境として近接していたため合併の話が上がり、1937年(昭和12年)10月に協定書まで出来ていたが、同年12月の村議会議員選挙で合併反対派が多数を占めて白紙撤回となった[4]。
沿革
[編集]- 1917年(大正6年)10月1日 - 蒲野部村と海徳村が合併して大正村が発足。役場位置を大字古海字下村土居ノ下820番地に定める[5]。
- 1943年(昭和18年)9月10日 - 鳥取地震発生。小学校が倒壊し校長と職員が殉職[4]。
- 1953年(昭和28年)7月1日 - 鳥取市に編入。同日大正村廃止[6]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
小林富蔵 | 1917年(大正6年)10月1日 | 1918年(大正7年)2月9日 | 前・蒲野部村海徳村組合長 |
岡田竜一 | 1918年(大正7年)2月7日 | 1918年(大正7年)4月1日 | |
稲本新蔵 | 1918年(大正7年)7月15日 | 1920年(大正9年)4月30日 | |
稲本新蔵 | 1920年(大正9年)5月7日 | 1920年(大正9年)7月29日 | 村長臨時代理者 |
土師保蔵 | 1920年(大正9年)7月29日 | 1922年(大正11年)8月23日 | |
田中米蔵 | 1923年(大正12年)1月27日 | 1924年(大正13年)8月29日 | |
稲本新蔵 | 1924年(大正13年)10月13日 | 1928年(昭和3年)3月31日 | |
前嶋熊太郎 | 1928年(昭和3年)6月1日 | 1932年(昭和7年)5月31日 | |
土師保蔵 | 1932年(昭和7年)8月20日 | 1935年(昭和10年)10月6日 | |
前嶋熊太郎 | 1935年(昭和10年)10月15日 | 1936年(昭和11年)3月20日 | |
宮脇善純 | 1936年(昭和11年)3月30日 | 1937年(昭和12年)10月3日 | |
野口憲春 | 1937年(昭和12年)10月5日 | 1937年(昭和12年)10月8日 | 職務管掌 |
衣笠直市 | 1937年(昭和12年)11月25日 | 1937年(昭和12年)12月4日 | 村長臨時代理者 |
中山源蔵 | 1937年(昭和12年)12月4日 | 1938年(昭和13年)6月18日 | |
青山猶幸 | 1938年(昭和13年)6月18日 | 1938年(昭和13年)9月10日 | 職務管掌 |
村上善市 | 1938年(昭和13年)9月10日 | 1939年(昭和14年)2月23日 | 村長臨時代理者 |
前嶋熊太郎 | 1939年(昭和14年)2月23日 | 1946年(昭和21年)11月15日 | |
石脇善継 | 1946年(昭和21年)11月16日 | 1947年(昭和22年)4月7日 | 村長代理助役 |
依藤利郎 | 1947年(昭和22年)4月8日 | 1948年(昭和23年)7月13日 | |
宮脇善継 | 1948年(昭和23年)8月17日 | 1952年(昭和27年)8月15日 | |
川口慈教 | 1952年(昭和27年)8月16日 | 1953年(昭和28年)6月30日 | |
参考文献 - [4]・[7] |
1937年(昭和12年)以来の村内対立のため県事務官が村長職務管掌として派遣されたものの円滑にいかず、立田清辰知事が元中ノ郷村助役であった村上善市に依頼した。
教育
[編集]主要施設
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 吉岡街道(松保村#道路を参照)
脚注
[編集]- ^ 他に刑の確定した監獄の在監者数791人
- ^ 1/25000鳥取南部 昭和7年測図・昭和10.7.30発行(今昔マップ on the web)
- ^ 町名地番の新旧対照表について(鳥取市総務部総務課)
- ^ a b c d e " 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
- ^ 「村役場位置」『官報』1917年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第279号・市町村の廃置分合」『鳥取県広報 第2424号』1953年6月23日(鳥取県立公文書館)
- ^ 大正小学校創立百周年記念誌(鳥取市立大正小学校創立百周年記念事業実行委員会、1974年)
- ^ 鳥取刑務所(法務省)
- ^ 千代橋(鳥取県県土整備部技術企画課)