奥村嘉蔵
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11代[1] 奥村 嘉蔵(おくむら かぞう、1885年(明治18年)12月26日[2][3]- 1967年(昭和42年)1月20日[1][2][注 1])は、日本の実業家、政治家。藍商・奥村嘉蔵家11代当主[1][注 2]、貴族院多額納税者議員。旧名・馨[4]。
経歴
[編集]徳島県板野郡奥野村(現藍住町奥野)で、10代奥村嘉蔵の長男として生まれる[2][3][4]。1895年に父が、1896年11月に祖父・9代[注 3]嘉三が死去したため、同年12月に家督を相続し11代嘉三を襲名し、家業については叔父・国太郎が後見人となった[1][4]。1902年、徳島県立徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を卒業した[2][3][5]。一年志願兵として入隊し、1905年、見習士官として日露戦争で旅順に出征[2]。歩兵少尉に任じられ小隊長として戦傷を受け、善通寺に帰還し回復後に除隊した[1][2][3]。
家業の藍商、肥料商を営み、東京支店で事業を行った[2][3]。その後、政界に目を向け、藍園村会議員を経て、徳島県会議員を3期務め、1941年、貴族院多額納税者議員補欠選挙で当選し、同年2月17日に就任し[6]、研究会に所属して1947年5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2][3][5]。
その他、阿波国共同汽船取締役社長、阿波製紙取締役、日本赤十字社徳島県支部長などを務めた[1][2][3][5][7]。