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奴加岳村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぬかだけそん
奴加岳村
廃止日 1955年3月20日
廃止理由 新設合併
仁位村奴加岳村豊玉村
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,921
国勢調査、1950年)
隣接自治体 下県郡仁位村、上県郡峰村
奴加岳村役場
所在地 長崎県下県郡奴加岳村大字佐保476番地の2
座標 北緯34度23分32秒 東経129度17分13秒 / 北緯34.39231度 東経129.28683度 / 34.39231; 129.28683座標: 北緯34度23分32秒 東経129度17分13秒 / 北緯34.39231度 東経129.28683度 / 34.39231; 129.28683
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奴加岳村(ぬかだけそん)は、長崎県下県郡にあった村。1955年(昭和30年)に東隣[1]仁位村と合併し、豊玉村となった。

現在の対馬市豊玉町の西部にあたる。

地理

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対馬島の中部に位置する。

  • 山:糠岳(奴賀岳、紅皿岳)[2]、竹無山、悪代山、黒隈山、遠見山、岳ノ山、天狗山、アヨウ岳
  • 島嶼:榎島、神ノ島、中ノ島、寺崎島、丸島(円島)、牛島
  • 河川:田川、卯麦川
  • 港湾・海域:大口瀬戸浅茅湾(仁位浅茅湾)、佐保浦、卯麦浦、糠浦、貝口浦、唐洲浦、綱浦、銘浦、田ノ浦

沿革

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当村域の一帯について、中世は「仁位郡」の一部、近世は「仁位郷」の一部に属した[3][4][5]。また『津島紀事』によれば、仁位郷内には枝村4村を含む21村[6]が属していたとされる[5]。仁位郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[5]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、卯麦村・佐保村・貝口村・唐洲村・廻村・志多浦村・大綱村・小綱村・銘村・田村が合併し下県郡奴加岳村が発足[7]
  • 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と合併して豊玉村が発足し、奴加岳村は自治体として消滅。

地名

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大字を行政区域とする。

  • 卯麦(うむぎ)
  • 大綱(おおつな)
  • 貝口(かいぐち)
  • 唐洲(からす)
  • 小綱(こづな)
  • 佐保(さほ)
  • 志多浦(したうら)
  • 田(た)
  • 廻(まわり)
  • 銘(めい)

名所・旧跡

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年3月1日
  2. ^ 仁位浅茅湾の北方、糠浦の西岸にある小半島の中央部に位置し、大字卯麦に属する。紅皿岳は別名(『津島紀事』卯麥村の頁より)。大字卯麦の一部区域は古来「奴賀村」と称したとされる。2018年現在、地理院地図四等三角点の名称で「糠」の地名が確認できる。
  3. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  4. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「仁位郡」
  5. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「仁位郷」
  6. ^ 仁位・田(た)・銘(めい )・小綱・大綱・志多浦・卯麦(うむぎ)・佐保・貝口・唐洲・廻・佐志賀・嵯峨・貝鮒・糸瀬・曽(そ)・鎗川(やりかわ)・大千尋藻(おおちろも)・小千尋藻(こちろも)・和板・荷船の各村からなる。上記のうち大千尋藻村と小千尋藻村は江戸時代後期までに千尋藻村と総称されるようになり、荷船村は明治初期までに大綱村の一部に含まれたものとみられる。
  7. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外

関連項目

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