宇都宮信房
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宇都宮信房像(泉涌寺蔵) | |
時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代 |
生誕 | 保元元年(1156年) |
死没 | 天福2年8月2日(1234年8月27日) |
別名 | 城井信房 |
官位 | 下野国蔵人所所衆、正四位上、大和守 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼朝→頼家→実朝→藤原頼経 |
氏族 | 豊前宇都宮氏 |
父母 |
父:中原宗房 養父:宇都宮朝綱 |
兄弟 |
信房、中原宗隆、野仲重房、山田政房、 深水興房、西郷業政、廣澤直房、 那須有家、江里口業俊 |
子 |
景房、笠間有房、如法寺信政、 麻生国弘、山田景長 |
宇都宮 信房(うつのみや のぶふさ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。宇都宮氏の祖である藤原宗円の次男中原宗房の長男。『吾妻鏡』の文治2年2月29日(1186年3月28日)の条によると信房は造酒司正(みきのつかさのかみ)宗房の孫とある。豊前宇都宮氏の祖。
治承4年(1180年)、下野国から源頼朝の挙兵に参陣する。同7年(1183年)、志田義広の謀反の際は義広討伐で功を挙げた。これらの功績により 元暦2年/文治元年(1185年)から文治2年(1186年)にかけて恩賞を与えられている。翌3年(1187年)9月、鎮西奉行として鬼界ヶ島の平氏残党討伐で功績を挙げた。建久3年(1192年)には豊後国・日向国内において所領を与えられた。
晩年は仏教に帰依した。天福2年(1234年)8月2日、79歳で死去した。