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小倉鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小倉鉄道株式会社
KOKURA TETSUDO CO.,LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
803-0184
福岡県北九州市小倉南区木下722番地
北緯33度46分30.6秒 東経130度52分0.5秒 / 北緯33.775167度 東経130.866806度 / 33.775167; 130.866806座標: 北緯33度46分30.6秒 東経130度52分0.5秒 / 北緯33.775167度 東経130.866806度 / 33.775167; 130.866806
設立 1906年(明治39年)8月25日[1]
廃止 2023年(令和5年)9月5日(清算の結了等)
業種 機械
法人番号 2290801001496 ウィキデータを編集
事業内容 各種小型歯車の設計・製作
資本金 2000万円
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小倉鉄道株式会社
KOKURA TETSUDO CO.,LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
822-0031
福岡県直方市植木1245番地17[2]
設立 1906年(明治39年)8月25日[1]
(創業 1896年(明治29年))[2]
業種 機械
法人番号 1290801019853
事業内容 自動車・農業機械・建設機械等各種ミッションギヤ小型歯車全般設計製作
代表者 代表取締役 木田文武
資本金 1500万円[2]
売上高 2億6000万円
外部リンク https://kokuratetsudou.com
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小倉鉄道社紋
鉄道営業当時の社紋

小倉鉄道株式会社(こくらてつどう)は、福岡県北九州市小倉南区直方市で機械製造業を営む会社である。

かつては同県内で鉄道を運営していた会社である。営業区間は現在の日田彦山線中間部、廃止された添田線の全区間に相当する。

歴史

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金辺鉄道

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金辺(きべ)鉄道株式会社(専務取締役小沢武雄[3]は、1896年明治29年)、後に小倉鉄道線となる路線の仮免許を得て会社設立、福岡県企救郡足立村(現在の北九州市小倉北区)に本社を置いた。翌年本免許を得て、金辺峠を貫くトンネル開削などの工事に着手した。しかしながらトンネル開削に伴う難工事、日清戦争後の不況による資金不足などが原因で、1900年に工事が中止された[4]。その後、金辺鉄道の経営は破綻し、会社は解散して、重役は破産し、技師長は自刃した[5]

  • 1895年(明治28年)10月24日 発起人会開催
  • 1896年(明治29年)
    • 7月31日 仮免状下付(小倉-筑豊鉄道下山田停車場間)[6]
    • 8月15日 創立総会を開催
  • 1897年(明治30年)3月22日 免許状下付(九州鉄道高浜停車場-筑豊鉄道下山田停車場間)[7]
  • 1899年(明治32年)4月14日[8] 仮免状下付(企救郡東紫村大字志井-曾根田ノ浦間、弓削田停車場-田川郡神田村間、夏吉-方城間)[9]
  • 1900年(明治33年)7月21日 仮免状返納指示(企救郡東紫村大字志井-曾根田ノ浦間、弓削田停車場-田川郡神田村間)[8]
  • 1901年(明治34年)12月7日 仮免状返納(夏吉-伊方間)[10]
  • 1903年(明治36年)12月 免許失効
  • 1904年(明治37年)2月8日 会社解散[11]、 免許失効(1897年3月22日免許 高浜-下山田間)[12]

小倉鉄道

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小倉鉄道株式会社は、金辺鉄道の債権者らにより創立され、福岡県企救郡足立村大字砂津に本社を置いた。足立村 - 嘉穂郡熊田村(現在の嘉麻市)間の免許を再申請し、金辺鉄道の既成・未成の鉄道施設一切を譲受けて、実質的敷設権を継承した。

  • 1903年(明治36年)12月15日 発起人により仮免状申請
  • 1904年(明治37年)8月30日 仮免状下付(企救郡足立村-嘉穂郡熊田村間 発起人総代岩田作兵衛[13][14]
  • 1906年(明治38年)
    • 8月25日 創立総会を開催
    • 8月27日 本免許申請
  • 1907年(明治40年)6月14日 免許状下付(企救郡足立村-嘉穂郡熊田村間 発起人総代三浦泰輔[13][15]
  • 1908年(明治41年)12月28日 仮免許状下付(企救郡足立村大字冨野-同郡柳ヶ浦村字原町間)[16]
  • 1911年(明治44年)9月9日 軽便鉄道に指定[17]
  • 1915年大正4年)4月1日 東小倉 - 石田 - 上香春(現香春) - 今任 - 上添田(現添田)を開業[18]
  • 1915年(大正4年)11月5日 鉄道免許取消(田川郡勾金村-嘉穂郡熊田村間)[19]
  • 1916年(大正5年)3月31日 起業廃止により鉄道免許状返納(企救郡足立村-同郡柳ヶ浦間)[20]
  • 1918年(大正7年)
    • 2月26日 鉄道免許状下付(田川郡添田町-日田郡日田町間)[21]
    • 4月21日 東小倉--富野連絡所間貨物運輸開始[22]
    • 9月 日田鉄道[23]へ鉄道敷設権譲渡(田川郡添田町-日田郡日田町間)[24]

1943年昭和18年)5月1日[25]、鉄道事業が鉄道省戦時買収された。買収に当たり、会社は公債保有会社として存続することや、代金は国債をもって交付すること等が鉄道省及び大蔵省から指示された。

戦後、造船工場や鉄工所を経営したが、「小倉鉄道株式会社沿革史」を作成した1965年(昭和40年)頃には北九州市戸畑区で機械製造業を営み、主に各種歯車の製作を行っている。

2010年現在、北九州市小倉南区に本社を、直方市に工場を置き、自動車・農業機械・建設機械・その他一般産業機械向け歯車を生産している。

鉄道事業

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路線概略図 
STR
小倉鉄道線
eBHF
駅名 * 1942年廃止
上段
下段
上段:路線キロ
下段:貨物キロ
値は鉄道省 (1937)
exSTR
他線

国有化直前を示す


exSTR
鹿児島本線
KDSTxa
0.0
0.0
富野信号場
xKRWgl KRW+r
exBST BHF
0.7
1.0
東小倉駅[* 1]
exHST STR
小倉駅
exABZgr STR
鹿児島本線
exSTR eKRZu
西鉄北九州線
exSTR BHF
3.0 妙見停留場
exHST STR
城野駅
exSTRl eKRZo exSTR+r
eBHF exSTR
4.7 東城野停留場 *
STR exSTR2
日豊本線
eHST
湯川仮停留場 -1934
BHF
7.2
10.0
石田駅
eBHF
10.3 志井停留場 * (I)
BHF
10.7 志井駅 (II) 1943-
eBHF
11.7 母原停留場 *
BHF
13.0
18.0
石原町駅[* 2]
eBHF
14.1 木下停留場 *
eBHF
15.3 下呼野停留場 *
BS2+r
KRWgl+l KRWgr+r
BS2l
16.6
23.0
呼野駅[* 3]
eBHF
17.9 上呼野停留場 *
DST
18.3 丸山信号所[* 4]
eBHF
21.2 五反田停留場 *
BHF
22.7
31.0
採銅所駅[* 5]
eBHF
24.5 宮原停留場 *
eBHF
26.6 鏡山停留場 *
BHF
28.0
38.0
上香春駅
exKBSTaq eKRZ exSTR+r
夏吉駅
eBHF exSTR
29.5 一本松停留場 *
exSTR+l eKRZ exABZqr
田川線
exSTR BHF
30.5
41.0
上伊田駅
exHST STR
伊田駅
exLSTR BHF
32.6
44.0
今任駅
eBHF
34.2 上今任停留場 *
eBHF
35.0 柿原停留場 *
BHF
36.1
48.0
梅田駅
BHF
38.4
51.0
伊原駅
exLSTR eBHF
39.8 豆塚停留場 *
exHST STR
添田駅
exKRWl eKRWg+r
KBHFxe
40.1
53.0
彦山口駅
exSTR
田川線

  1. ^ 今尾 (2009) では富野 - 東小倉間0.6km
  2. ^ 今尾 (2009) では間母原 - 石原町1.2km
  3. ^ 今尾 (2009) では下呼野 - 呼野間1.0km
  4. ^ 鉄道省 (1937) に記載なし。
    距離は今尾 (2009) による。
  5. ^ 今尾 (2009) では五反田 - 採銅所間1.2km

輸送・収支実績

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1915年から石炭輸送を開始して、翌年には営業収入の76%を占めるに至った[4]

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1915 126,788 20,991 49,268 66,784 ▲ 17,516 42,109
1916 189,363 238,794 201,679 91,507 110,172 47,500 償却金1,185 232,391
1917 257,364 480,301 368,194 130,784 237,410 230,228
1918 339,974 563,172 545,302 225,944 319,358 建設費償却金207雑損350 208,346
1919 416,192 731,490 741,579 363,064 378,515 1,859 212,647
1920 439,914 606,826 834,287 404,529 429,758 償却金10,537 215,448
1921 476,562 666,931 862,906 413,968 448,938
1922 490,710 671,247 858,606 415,092 443,514
1923 488,983 741,429 897,146 424,746 472,400 158,808
1924 482,325 759,602 906,680 418,433 488,247 161,955
1925 421,127 657,912 796,881 380,275 416,606 185,927
1926 393,544 913,063 998,070 441,556 556,514 雑損12,110 193,522
1927 404,565 934,203 989,480 436,236 553,244 196,694
1928 399,065 907,123 943,606 429,919 513,687 196,220
1929 386,213 834,626 847,505 376,886 470,619 198,326
1930 344,995 715,536 729,711 430,276 299,435 199,704
1931 289,285 570,570 570,009 274,657 295,352 償却金124,039 208,627
1932 259,032 540,820 501,473 267,772 233,701 償却金78,300 204,073
1933 258,399 563,248 511,170 238,073 273,097 雑損116,935 166,507
1934 439,456 729,602 669,737 328,386 341,351 雑損償却金51,337 144,301
1935 442,254 892,916 784,963 347,478 437,485 償却金17,005 128,433
1936 448,169 1,045,817 875,815 371,627 504,188 償却金16,925 119,276
1937 573,927 1,079,433 924,107 441,652 482,455 雑損3,140 109,156
1939 776,451 1,349,608
1941 1,075,571 1,282,280
1943 441,189 427,145
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版。

車両

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蒸気機関車 すべてタンク機関車

なお金辺鉄道は機関車を注文していたがキャンセルしており、北海道炭礦鉄道阪鶴鉄道が引き取っている。詳細は国鉄1430形蒸気機関車国鉄2040形蒸気機関車を参照

貨車

  • ヲム301形ヲム301 - ヲム313) 国有化後セム1形(セム3130 - セム3139、セム10000 - セム10002)になった。
  • ヲム321形ヲム321 - ヲム340) 国有化後セム1形(セム10003 - セム10022)になった。
  • ヲム401形ヲム401 - ヲム410) 国有化後セム1形(セム10023 - セム10032)になった。
  • ヲム411形ヲム411 - ヲム420) 国有化後セム1形(セム10033 - セム10042)になった。
  • ヲム314形ヲム314 - ヲム320) 国有化後セム3140形(セム3641 - セム3647)になった。
  • セム1形セム1 - セム110) 国有化後セム3750形(セム3750 - セム3859)になった。
  • セム201形セム201 - セム240) 国有化後セム3140形(セム3601 - セム3640)になった。

車両数の推移

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年度 蒸気機関車 蒸気動車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1915 9 8 16 180
1916 9 16 16 180
1917-1918 10 16 16 180
1919 10 16 16 205
1920 10 16 16 235
1921 10 16 15 236
1922 10 16 14 238
1923 10 16 14 258
1924-1925 10 16 14 268
1926 10 16 15 267
1927 10 16 14 268
1928-1931 10 16 12 270
1932 10 18 12 270
1933 10 2 19 12 270
1934 11 2 19 12 270
1935 14 3 19 102 290
1936 16 3 19 102 290
1937 16 3 21 106 290

脚注

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  1. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b c 小倉鉄道株式会社 会社概要
  3. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治30年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ a b 田中邦博、市川紀一、亀田伸裕、畑岡寛「北九州に創設された小倉鉄道に関する史的研究」『土木史研究』第20巻、土木学会、2000年、371-377頁、doi:10.2208/journalhs1990.20.371 
  5. ^ 小川功「明治後期の不振私鉄のファイナンス ー金辺鉄道破綻と債務の株式化事例ー」『彦根論叢』第319号、滋賀大学経済経営研究所、1999年、 p. 30。
  6. ^ 「私設鉄道敷設仮免状下付」『官報』1896年9月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「私設鉄道敷設免許状及仮免状下付」『官報』1897年5月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ a b 「私設鉄道株式会社仮免状返納」『官報』1900年7月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「私設鉄道敷設仮免状下付」『官報』1899年4月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「私設鉄道株式会社仮免状返納」『官報』1901年12月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『鉄道局年報. 明治36年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「私設鉄道株式会社仮免状失効」『官報』1904年3月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ a b 両者とも国有化された甲武鉄道役員『日本全国諸会社役員録. 明治36年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「私設鉄道株式会社仮免許状下付」『官報』1904年9月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「私設鉄道株式会社本免許状下付」『官報』1907年6月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「私設鉄道株式会社仮免許状下付」『官報』1909年1月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1911年9月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年4月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 「軽便鉄道免許取消」『官報』1915年11月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「軽便鉄道免許状返納」『官報』1916年3月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年2月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1918年4月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 1927年解散「鉄道免許失効」『官報』1927年3月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 『九州諸会社実勢. 第3次(大正8年刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「鉄道省告示第85号」『官報』1943年4月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

[編集]
  • 鉄道省『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(覆刻:1986年)、pp. 431, 432頁。ISBN 4-88540-048-1 
  • 今尾恵介(監修)『12 九州・沖縄』新潮社〈日本鉄道旅行地図帳〉、2009年。ISBN 9784107900302 
  • 小川功明治後期の不振私鉄のファイナンス-金辺鉄道破綻と債務の株式化事例-」(PDF)『彦根論叢』第319号、滋賀大学経済経営研究所、1999年、pp. 23-43。 
  • 木田虎彦『小倉鉄道株式会社沿革史』小倉鉄道株式会社、1965年。 (北九州市立中央図書館所蔵。奥付はなく、発行年は同館の蔵書データによる。木田は同社取締役社長(1958年(昭和33年)就任))
  • 奈良崎博保「小倉鉄道とその機関車」『レイル』No.2 1978年5月号、プレスアイゼンバーン
  • 鉄道史料編集スタッフ『鉄道史料 第38号』鉄道史資料保存会、1985年5月。 

外部リンク

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