小林成光
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名前 | ||||||
愛称 | コバ[1][2] | |||||
カタカナ | コバヤシ マサミツ | |||||
ラテン文字 | KOBAYASHI Masamitsu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年4月13日(46歳) | |||||
出身地 | 栃木県佐野市 | |||||
身長 | 174cm[3] | |||||
体重 | 67kg[3] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[3] | |||||
利き足 | 右足[4] | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | 佐野日大高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-2005 | 東京ガス/FC東京 | 135 | (22) | |||
2000 | → イパチンガ | |||||
2006 | サガン鳥栖 | 11 | (0) | |||
2007-2008 | 栃木SC | 50 | (9) | |||
2010-2012 | FCフエンテ東久留米 | |||||
通算 | 196 | (31) | ||||
監督歴 | ||||||
2017 | 作新学院大学 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小林 成光(こばやし まさみつ、1978年4月13日 - )は、栃木県佐野市出身の[5]元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは主にミッドフィールダーで、左右のサイドアタックを担った[6]。
来歴
[編集]小学校2年生の時にサッカーを始める[1][7]。1994年、佐野日大高校に進学し、在学中3年連続で国体栃木県選抜に選出された。
1997年、高校を卒業し、東京ガスに入社。社員選手として[7]ジャパンフットボールリーグ・東京ガスFC(現 FC東京)に入団し、同年リーグ開幕戦にスタメン出場。ガス検診をこなしながらも「凄く我慢して起用してくれた(小林談)」大熊清監督の期待に応えるために必死に戦い[8]、全試合に出場。新人王に輝いた。その後チームと共にJ2、J1と舞台を移しながらプレー、2002年からプロ契約を結んだ[7]。同年より監督に就任した原博実は自身の掲げる攻撃的サッカーの担い手として小林を左ウイングに抜擢。開幕戦、小林は前年度優勝の鹿島を相手に2得点2アシストの大活躍で脚光を浴び(翌日の日刊スポーツ紙では、「日韓W杯の秘密兵器」という見出しで一面を飾った[7])、次節の浦和戦でも決勝点を挙げてFC東京の開幕ダッシュの立役者となった。
しかしその直後の2002年4月15日、練習場に向かう為にオートバイを運転中に突風でバランスを崩し転倒。右大腿部骨幹部を骨折し[7][9]、長期のリハビリを強いられる。右大腿骨には重い随内釘(ボルト)が埋め込まれ、骨盤からの骨移植も行われた[8]。2004年にはシーズン開幕前のキャンプから軽快なプレーを見せ[1]、同年3月のナビスコカップ鹿島戦で途中出場、9月の同杯準々決勝G大阪戦では約2年4ヶ月ぶりに公式戦のスターティングメンバーに名を連ねた[6]。シーズン終了後、プレーの質を取り戻すべく、再骨折のリスクを覚悟で髄内釘を除去[10]。これが事故以来4度目の手術だった[7]。
2006年、J2サガン鳥栖へ移籍[11][12]。同年9月の神戸戦で4年半ぶりにリーグ戦での90分フル出場を果たした[5][7]。
2007年、J2クラブからもオファーを受ける中[5]、地元栃木でJリーグ昇格を目指すJFL・栃木SCへ移籍[13]。サイドでの突破力を発揮して[5] チーム2位の6得点を挙げ[14]、復調を印象付けた。2008年、クラブはリーグ2位に入り翌年からのJリーグ加盟を果たしたが、小林はこの年限りで栃木との契約を満了[15]。予てより栃木でサッカーを終える意思を持っていたため[8]、故郷のクラブのJ2昇格を花道に現役引退を表明した[16]。
2009年、古巣のFC東京にて育成部コーチに就任[17][18]。感性と冷静に見る目を併せ持ち、選手個々に考えさせる指導ができる、とクラブ上層部からの評価は高く[8]2010年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンス取得[19]。また、東京都社会人リーグのFCフエンテ東久留米でもプレーし、1部昇格に貢献した。
所属クラブ
[編集]- 旗川クラブ (佐野市立旗川小学校)[1]
- 佐野市立西中学校[1]
- 佐野日本大学高等学校
- 1997年 - 2005年 東京ガスフットボールクラブ / FC東京
- 2000年8月 - 同年9月 イパチンガFC (留学)
- 2006年 サガン鳥栖
- 2007年 - 2008年 栃木SC
- 2010年 - FCフエンテ東久留米
個人成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 東京ガス | 24 | 旧JFL | 30 | 7 | - | 4 | 1 | 34 | 8 | |
1998 | 28 | 7 | - | 0 | 0 | 28 | 7 | ||||
1999 | FC東京 | J2 | 20 | 2 | 7 | 2 | 0 | 0 | 27 | 4 | |
2000 | J1 | 27 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 30 | 2 | ||
2001 | 20 | 1 | 3 | 2 | 1 | 0 | 24 | 3 | |||
2002 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | |||
2003 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2004 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
2005 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
2006 | 鳥栖 | J2 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | ||
2007 | 栃木 | 6 | JFL | 30 | 6 | - | 2 | 0 | 32 | 6 | |
2008 | 8 | 20 | 3 | - | 1 | 0 | 21 | 3 | |||
2010 | 東久留米 | 東京都2部 | - | - | |||||||
2011 | 8 | 東京都1部 | 8 | - | - | 8 | |||||
2012 | 3 | - | - | 3 | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 57 | 6 | 9 | 2 | 2 | 0 | 68 | 8 | |
日本 | J2 | 31 | 2 | 7 | 2 | 0 | 0 | 38 | 4 | ||
日本 | 旧JFL | 58 | 14 | - | 4 | 1 | 62 | 15 | |||
日本 | JFL | 50 | 9 | - | 3 | 0 | 53 | 9 | |||
日本 | 東京都1部 | 11 | - | 11 | |||||||
日本 | 東京都2部 | - | |||||||||
総通算 | 196 | 42 | 16 | 4 | 9 | 1 | 221 | 47 |
- 1999年3月14日:J2初出場 - J2第1節 vsサガン鳥栖 (西が丘)[21]
- 1999年4月23日:J2初得点 - J2第7節 vsヴァンフォーレ甲府 (小瀬)[21]
- 2000年3月11日:J1初出場 - J1 1st第横浜F・マリノス (横浜国際) 1節 vs
- 2000年5月6日:J1初得点 - J1 1st第11節 vs川崎フロンターレ (駒沢)
指導歴
[編集]- 2009年 - 2016年 FC東京
- 2009年 - 2011年 普及部コーチ
- 2012年 - 2013年 U-15深川コーチ
- 2014年 - 2015年 U-18コーチ
- 2016年 アドバンスクラススタッフ / U-12育成担当
- 2017年 - 作新学院大学サッカー部コーチ
- 2017年 - union sc 監督
- 2018年 - 作新学院大学サッカー部監督
- 2018年 - union sc 総監督
- 2020年 - J-SPORTSFOOTBALLCLUBU-15監督
タイトル
[編集]- ジャパンフットボールリーグ(旧JFL) 新人王 (1997年)
- ジャパンフットボールリーグ (1998年)
- Jリーグカップ (2004年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、45頁。
- ^ “サガントス絆プロジェクト シリアルNo.00470”. 2007年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年8月16日閲覧。
- ^ a b c 栃木SC -【JFL】 日本フットボールリーグ
- ^ “Jリーグ名鑑 (2005年版)”. 2005年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 スポーツニッポン
- ^ a b c d “栃木SC 注目のイレブン”. 2013年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月4日閲覧。 YOMIURI ONLINE
- ^ a b 【ヤマザキナビスコカップ:準々決勝】F東京 vs G大阪:原博実監督(F東京)記者会見コメント (cache) J's GOAL (2004年9月4日)
- ^ a b c d e f g “鳥栖MF小林1663日ぶりフル出場/蹴人”. 2007年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年11月1日閲覧。 日刊スポーツ (2007年3月6日)
- ^ a b c d 『F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO 2014年5月号』ユーメイド、2014年、47-51頁。
- ^ “小林成光選手の負傷について”. 2005年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 FC東京 (2002年4月16日)
- ^ “小林完全復活へ前進”. 2005年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 東京中日スポーツ (2005年2月7日)
- ^ “小林成光選手 サガン鳥栖へ完全移籍決定のお知らせ”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 FC東京 (2005年12月9日)
- ^ “小林 成光 選手 FC東京より完全移籍加入のお知らせ”. 2005年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 サガン鳥栖 (2005年12月9日)
- ^ “小林成光選手 栃木SCに加入”. 2007年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 サガン鳥栖 (2007年1月29日)
- ^ 順位表・成績表 (2007年版) 日本フットボールリーグ
- ^ 契約満了選手のお知らせ 栃木SC (2008年11月28日)
- ^ 【JFL後期第17節:FC刈谷戦】試合終了後の各選手コメント (2008年11月30日)
- ^ 小林成光氏 FC東京 普及部コーチ就任のお知らせ 栃木SC (2009年3月11日)
- ^ “FC東京普及部 小林 成光コーチ、久保田 健太コーチ就任のお知らせ”. 2009年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月22日閲覧。 FC東京 (2009年3月11日)
- ^ 2009(平成21)年度 公認B級コーチ養成講習会 判定結果 (PDF) 日本サッカー協会公式サイト 2010年4月7日
- ^ sakusingakuindaegakusoccerの投稿(1885356628367593) - Facebook (2017年2月3日)
- ^ a b “登録選手一覧表”. 2013年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月17日閲覧。 Jリーグ (2006年12月8日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 小林成光 - FootballDatabase.eu
- 小林成光 - WorldFootball.net
- 小林成光 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 小林成光 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 小林成光 - J.League Data Siteによる選手データ
- プロフィール (2005年) - ウェイバックマシン(2005年11月24日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2008年) - 栃木SC
- 小林成光 footalk (1/2) - ウェイバックマシン(2005年3月9日アーカイブ分)、(2/2) - ウェイバックマシン(2005年2月6日アーカイブ分) - サッカーマガジン (2002年3月28日)
- Tokyo Mania Vol.08 (1/2)、(2/2) - 182ch (2005年1月)
- 夢挑戦者 チャレンジャー 2006 - 佐賀新聞 (2006年6月16日)