小栗浩
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小栗 浩(おぐり ひろし、1920年5月22日 ‐ 2020年10月10日)は、日本のドイツ文学者。文学博士(北海道大学・論文博士・1968年)。東北大学名誉教授。
来歴
[編集]北海道函館市生まれ。弟はフランス史学者の小栗了之。小樽中学校(4年修了)、弘前高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部独文科卒業[1]。1946年、松本高等学校講師、教授。1948年、北海道大学法文学部助教授。1959年から1960年にかけてヨーロッパに留学し、1964年、北海道大学文学部教授。1968年、「「西東詩集」研究 その愛を中心として」により、文学博士(北海道大学)の学位を取得[2]。1973年、東北大学教授[1]、1984年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授となり、1990年に定年退任。2020年10月10日死去、100歳[3]。
著書
[編集]- 『「西東詩集」研究 その愛を中心として』郁文堂、1972年
- 『人間ゲーテ』岩波新書、1978年
- 『近代ドイツ文学論集』東洋出版、1982年
- 『ドイツ古典主義の成立』東洋出版、1983年
- 『続 近代ドイツ文学論集』東洋出版、1996年
- 『続々・近代ドイツ文学論集 (ゲーテとその周辺)』朝日出版社、2006年
- 『北窓集 一独文学者の感想』同学社、2010年
共著
- 『演習ドイツ文法』 永井義哉共著、 第三書房、1960年
- 登張正実『ヘルダーとゲーテ ドイツ・フマニスムスの一系譜』中央公論社〈世界の名著 38(中公バックス) ヘルダー/ゲーテ〉、1979年。doi:10.11501/12406058 。
翻訳
[編集]- グラッベ『ドン・ジュアンとファウスト』育生社、1948年、doi:10.11501/1132187
- クリスティアン・ディートリヒ・グラッベ『ドン・ジュアンとファウスト』現代思潮社〈古典文庫 4〉、1967年。doi:10.11501/1698477 。
- 『現代ドイツ文学全集 第1巻』(ハウプトマン篇)「ハンネレの昇天-幻想詩」河出書房、1954年
- 『世界民話全集 4(中欧篇)』「ドイツ、ジプシー」河出書房、1954年
- 『世界民話全集 5(東欧篇)』「ギリシャ」 河出書房、1954年
- 『ヘルマン・ヘッセ全集 第15』「思い出草」三笠書房、1957年
- 『世界文学全集 第45(ハインリヒ・マン)』「臣下」「解説・年譜」筑摩書房、1967年
- クラウス・マン『転回点 1 マン家の人々』晶文社、1970年
- ハインリヒ・マン『歴史と文学』晶文社、1971年、doi:10.11501/12587877
- ハインリヒ・マン『アンリ四世の青春』晶文社、1973年、新版1989年
- 『世界の名著 続 7』ヘルダー「人間性形成のための歴史哲学異説」(七字慶紀共訳)中央公論社、1975年
- 『世界の文学 20(ノサック)』「待機」集英社、1977年、doi:10.11501/12445309
- 『世界文学全集 19(ゲーテ)』「ヴィルヘルム・マイスターの演劇的使命」「解説」講談社、1977年
- 『ゲーテ全集 5』「トルクヴァート・タッソー」「エピメーニデスの目覚め」潮出版社、1980年、新版2003年
- 『ゲーテ全集 15』「書簡」潮出版社、1981年、新版2003年
- 『世界文学全集 42(ボードレール、マイヤー、ペイター)』 コンラート・マイヤー「ペスカラの誘惑」「解説」集英社、1981年
- ハインリヒ・マン『アンリ四世の完成』晶文社、1989年
- 『集英社ギャラリー「世界の文学」11(ドイツ 2)』 ノサック「カサンドラ」集英社、1990年
- リオン・フォイヒトヴァンガー『トレド風雲録』晶文社、1991年
記念論集
- 『ドイツ文学論集 小栗浩教授退官記念』 東洋出版、1984年
出典・脚注
[編集]- ^ a b 『ドイツ文学論集 : 小栗浩教授退官記念 略年譜』1984年、1-2頁 。
- ^ “「西東詩集」研究 : その愛を中心として 小栗浩”. 国立国会図書館. 2013年11月11日閲覧。
- ^ 吉田徹也「恩師 小栗浩先生を偲んで」近藤孝夫編『ラテルネ』125号 同学社 (2021、3)、16-17頁。
参考文献
[編集]- 『人事興信録』1995