山縣有光
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山縣 有光(やまがた ありみつ、1903年(明治36年)6月2日 - 1982年(昭和57年)8月16日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大佐。爵位は男爵。旧名・船越三郎。
経歴
[編集]東京出身。男爵・船越光之丞と母・松子(山縣有朋の娘)の三男として生まれる。有朋の養嗣子・山縣伊三郎の養子となり、祖父の功により、1922年(大正11年)2月、山縣公爵家から分家して男爵の爵位を授爵した。
学習院、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科(36期)を経て、1925年(大正14年)7月、陸軍士官学校(37期)を卒業。同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第3連隊付となる。1932年(昭和7年)11月、陸軍大学校(44期)を卒業した。
陸軍兵器本廠付(新聞班)、陸軍省軍務局課員、ドイツ駐在などを経て、1937年(昭和12年)8月、航空兵科に転じ航空大尉となる。ドイツ大使館付武官補佐官、参謀本部員などを歴任し、1941年(昭和16年)3月から1944年(昭和19年)12月まで侍従武官を勤めた。
1944年3月、陸軍大佐に進級し、同年12月、浜松教導飛行師団司令部付となり、第6航空軍隷下の第21飛行団長として終戦を迎えた。1945年(昭和20年)11月に復員。墓所は寛永寺第一霊園。
栄典・授章・授賞
[編集]親族
[編集]- 実父・船越光之丞(外交官)
- 実母・船越松子(山縣有朋の次女)
- 養父・山縣伊三郎(内務官僚、山縣有朋の甥)
- 母方祖父・山縣有朋(内閣総理大臣)
- 母方祖母・山縣友子
- 父方祖父・船越衛
- 父方の大叔父・加藤隆義(海軍大将、妻は元内閣総理大臣・加藤友三郎の娘キミ子)
- 義父・伊沢良立(実業家、妻・弥生の父)
- 妻・彌生(1911年生、井澤三郎妹[2])
- 長男・山縣有輔(1933年生[2])
- 長女・彌榮子(1936年生[2])
- 二女・美子(1943年生[2])
脚注
[編集]参考文献
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 山縣(有朋)家(分家)初代 1922年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |