嶋田信敏
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福井県武生市(現:越前市) |
生年月日 | 1960年4月9日(64歳) |
身長 体重 |
187 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
初出場 | 1983年8月10日 |
最終出場 | 1994年6月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ・監督歴 | |
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この表について
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嶋田 信敏 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2019年3月16日 - |
ジャンル | 野球、音楽 |
総再生回数 | 47,304回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2021年10月16日時点。 |
嶋田 信敏(しまだ のぶとし、1960年4月9日 - )は、福井県武生市(現:越前市)出身[注 1](神奈川県生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者、YouTuber。
「島田 信敏」と表記される場合もある[注 2]。選手時代の愛称は「ノブ」[注 3]。
来歴・人物
[編集]日大藤沢高校では2年次の1977年秋季関東大会神奈川県予選で準々決勝に進むが、日大高に敗退。その後も県予選で敗れ甲子園には出場できなかったが、自身は控え投手であった。
1978年に日本ハムファイターズへドラフト外でテスト入団。二軍暮らしが長く、一軍では主に守備固め[注 5]やバント要員、代走で使われることが多かった。
1986年には一軍に定着。
1990年には鈴木慶裕に代り中堅手のレギュラーを獲得、同年は86試合に先発出場し、規定打席には届かなかったものの打率.262、6本塁打の好成績を残す。
1991年には指名打者のマット・ウインタースが外野に回り、大内実の台頭もあってシーズン後半に定位置を失う。
1994年限りで現役を引退。
引退後は堅実な守備能力を買われ、日本ハム二軍外野守備・走塁コーチ(1995年 - 1996年)を務めた[注 6]。
1997年からソニー生命に営業マンとして勤務する[1] 傍ら、テレビ埼玉「TVSヒットナイター」解説者を務めた[注 7]。
1999年は相模原クラブにコーチ兼外野手として所属した[1]。
2003年まで一軍コーチとして外野守備・走塁コーチや一塁ベースコーチを務めた[注 8]。その後、「FULL-COUNT」という野球教室を運営する[16] 傍ら、2005年に北海道放送(HBCラジオ)の野球解説者を務めていた[注 9]。
2004年からはプロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスに外野手として参加していた[注 10]。
2006年春からは高千穂大学硬式野球部の監督を務める[21][注 11]。それに伴い、「FULL-COUNT」の閉鎖および一切の野球評論活動を中止[注 12]。
2007年秋に東京新大学野球連盟2部リーグ3連覇[21]、対杏林大学入れ替え戦も制し[21]、4季ぶりの1部リーグ復帰を果たしている[21]。また、高校時代に控え野手だった戸田亮(のち、JR東日本硬式野球部を経てオリックス・バファローズへプロ入り)に投手転向を命じている[23]。三ツ間卓也投手も後にプロ(中日)入りしている。試合では三塁ベースコーチを務めることもあり、背番号はプロ野球時代の54等を着けていた。
2017年4月14日にはABEMAで配信の横浜DeNAベイスターズ主催試合中継で解説者としての活動を再開している[注 14]。また赤坂見附にUTANOBというカラオケスナックを開店したが2022年3月に閉店。
プロ選手時代の応援歌は、コンピュータゲーム『ドルアーガの塔』のエンディングテーマ曲が原曲。後に奈良原浩の応援歌として引き継がれた。
2020年より埼玉西武ライオンズ・レディースのヘッドコーチに就任。 同年8月末をもって退団。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1983 | 日本ハム | 24 | 9 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 |
1984 | 24 | 8 | 7 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .143 | .125 | .286 | .411 | |
1985 | 5 | 14 | 13 | 6 | 6 | 1 | 0 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .462 | .500 | .769 | 1.269 | |
1986 | 71 | 91 | 81 | 16 | 22 | 4 | 0 | 2 | 32 | 9 | 1 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 11 | 1 | .272 | .330 | .395 | .725 | |
1987 | 35 | 22 | 18 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 12 | 0 | .111 | .200 | .111 | .311 | |
1988 | 84 | 86 | 78 | 11 | 16 | 3 | 0 | 1 | 22 | 8 | 2 | 0 | 3 | 1 | 4 | 0 | 0 | 20 | 3 | .205 | .241 | .282 | .523 | |
1989 | 94 | 59 | 56 | 14 | 13 | 2 | 0 | 1 | 18 | 7 | 6 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .232 | .232 | .321 | .554 | |
1990 | 113 | 318 | 279 | 33 | 73 | 14 | 1 | 6 | 107 | 34 | 6 | 7 | 15 | 2 | 20 | 0 | 2 | 60 | 4 | .262 | .314 | .384 | .697 | |
1991 | 101 | 188 | 174 | 17 | 40 | 6 | 0 | 2 | 52 | 13 | 2 | 2 | 5 | 2 | 6 | 0 | 1 | 51 | 4 | .230 | .257 | .299 | .556 | |
1992 | 63 | 72 | 61 | 11 | 16 | 1 | 0 | 1 | 20 | 5 | 2 | 2 | 7 | 0 | 4 | 0 | 0 | 13 | 1 | .262 | .308 | .328 | .636 | |
1993 | 59 | 36 | 35 | 6 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | .229 | .250 | .286 | .536 | |
1994 | 5 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:12年 | 678 | 908 | 816 | 122 | 198 | 34 | 1 | 14 | 276 | 84 | 24 | 18 | 38 | 6 | 45 | 0 | 3 | 194 | 15 | .243 | .283 | .338 | .621 |
記録
[編集]- 初出場:1983年8月10日、対西武ライオンズ16回戦(岩手県営野球場)、9回表に中堅手として出場[注 15]
- 初安打:1983年9月7日、対近鉄バファローズ20回戦(後楽園球場)、8回裏に村田辰美からバント安打
- 初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:村田辰美、捕手:梨田昌崇)
- 初先発出場:1983年9月14日、対南海ホークス22回戦(大阪スタヂアム)、9番・左翼手として先発出場
- 初打点:1984年4月17日、対阪急ブレーブス4回戦(後楽園球場)、9回裏に山本勝哉の代打として出場、佐藤義則から犠飛
- 初本塁打:1985年10月19日、対ロッテオリオンズ25回戦(川崎球場)、2回表に水谷則博から先制ソロ
背番号
[編集]- 54 (1979年 - 1983年)
- 39 (1984年 - 1994年)
- 83 (1995年 - 1996年)
- 82 (2000年 - 2003年)
関連情報
[編集]出演番組
[編集]いずれも、解説者として出演のプロ野球中継。
- ヒットナイター(テレビ埼玉)[注 7]
- HBCスーパーベースボール(HBCラジオ)[注 9]
- 横浜DeNAベイスターズ主催試合中継(ABEMA配信) - 2017年より[注 14]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 参考:出身地に関する情報…
- ^ 名鑑(1991年[3]、2000年[13])
- ^ 参考:日本ハム外野手時代のプロ野球名鑑…[2]
- ^ 2016年9月2日にTBSテレビで放送された番組『爆報! THE フライデー』にて、西野七海の近況を紹介する際、西野の夫として紹介された[14]。
- ^ 野球解説者時代のプロ野球名鑑より、選手時代について「16年のほとんどを外野の守備要員ですごすも、いま風のソース顔で人気あり」と記述[8]。
- ^ 1995年から1996年まで日本ハム二軍コーチだったことは次の資料を[15]、同外野守備走塁コーチだったことは次の資料を[16]、それぞれ参照。
- ^ a b 1997年のプロ野球名鑑より、テレビ埼玉の解説者として紹介[5]。1998年のプロ野球名鑑より、テレビ埼玉の解説者として紹介し、「異例の抜擢という型で昨年デビュー。先輩後輩良き仲間ばかりのハム中心の放送だが戸惑いながらの1年の経験生かせ。」と記述[8]。1999年のプロ野球名鑑より、3年目とした上でテレビ埼玉の解説者として紹介[9]。1999年にTVS解説者を務めていたことは次の資料を参照…[13]
- ^ 2000年から2003年まで日本ハム一軍コーチだったことは次の資料を[15]、同外野守備走塁コーチだったことは次の資料を[16]、それぞれ参照。
- ^ a b 参考…[17][18][19]
- ^ 2004年当時のプロ野球マスターズリーグ公式サイトを参照[20]。
- ^ 長らく肩書きは「監督代行」であった。
- ^ 規定により並行はできないため。外部リンクより、FULL-COUNT公式サイト内閉鎖のお知らせを参照[22]。
- ^ 2017年4月1日付で安部理が正式に監督就任した[24][25]。
- ^ a b 参考…[26][27]
- ^ 初出場年月日・対戦相手は次の資料を参照…1995年の名鑑[4]。 ※なお、球場名は所在地である「盛岡」と記載される場合あり[4]。
- ^ 日本ハムでの背番号の変遷については、次の資料を参照…[15]
出典
[編集]- ^ a b c 日本ハム外野守備コーチ 嶋田 信敏(下)<元日本ハム-相模原クラブ> - 『スポニチアネックス』内連載コラム「帰ってきた男たち」(文:小川勝=スポーツニッポン編集委員)第10回(2000年5月11日) ※インターネットアーカイブ2000年6月21日付保存キャッシュ
- ^ a b 『週刊ベースボール』1985年2月25日号「'85プロ野球全選手写真名鑑」(第40巻・第8号、通算1511号。同年月日、ベースボール・マガジン社発行)掲載「嶋田信敏」プロフィール(日本ハムの外野手として紹介 ※2014年に同社から発行された『日本プロ野球80年史』の初回生産分限定復刻版にも掲載)
- ^ a b 『'91スポニチプロ野球手帳』P47のプロフィール
- ^ a b c 『週刊ベースボール』1995年2月27日号「95プロ野球全選手名鑑号」(第50巻第8号通算第2101号。同年月日、ベースボール・マガジン社発行)より、「保存版 95プロ野球全選手写真名鑑」掲載のプロフィール(日本ハム二軍外野守備走塁コーチとして掲載) ※2014年に同社から発行された『日本プロ野球80年史』の初回生産分限定復刻版にも掲載)
- ^ a b 『'97プロ野球12球団全選手百科名鑑』(1997年発行)の解説者名鑑(P199、テレビ埼玉解説者として紹介)
- ^ 2004年当時のプロ野球マスターズリーグ公式サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ同10月20日付保存キャッシュ)
- ^ 2005年当時のプロ野球マスターズリーグ公式サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ同12月25日付保存キャッシュ)
- ^ a b c 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(1998年発行)の解説者名鑑(P198、テレビ埼玉解説者として紹介)
- ^ a b 『'99プロ野球12球団全選手百科名鑑』(1999年発行)の解説者名鑑(P198、テレビ埼玉解説者として紹介)
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』掲載プロフィール
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』掲載プロフィール
- ^ 「福井」左翼手・嶋田信敏 名前しまだ・のぶ…:「全国」 夢のベストナイン特集:時事ドットコム
- ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』の解説者名鑑より、日本ハムへのコーチ転出者として「島田信敏(TV埼玉)」と記述(P217参照)。
- ^ 価格.com - 「爆報!THE フライデー ~あの人は今…大追跡SP~」2016年9月2日(金)放送内容 | テレビ紹介情報
- ^ a b c 『日本プロ野球80年史 1934-2014』「記録編」に収録された、日本ハムファイターズの年度別メンバー一覧表
- ^ a b c FULL-COUNTウェブサイト - インターネットアーカイブ2004年1月14日付保存キャッシュ(最古版) ※嶋田の経歴も掲載。
- ^ 『週刊ベースボール』2005年2月26日増刊号「2005プロ野球全選手写真名鑑」掲載の評論家・解説者名鑑(P148-149)より、HBCラジオの解説者として紹介。
- ^ 『ラジオ番組表』2005年春号P4-5『番組改編トピックス』内P5掲載「アツイ実況を聴いて盛り上がろう!球界再編元年のナイター中継はこう聴け!」を参照。HBCラジオ野球解説者の一人として明記。
- ^ アナウンサー日記バックナンバーNo.126:2005年 3月21日~3月27日(HBC公式サイト内。インターネットアーカイブ2006年11月14日付保存キャッシュ)より、2005年3月25日付記事『ファイターズ中継はHBCラジオで』(文:川畑恒一)を参照。同年より、HBCラジオの日本ハム戦中継解説者となったことが明記。
- ^ プロ野球マスターズリーグ公式サイト内2004年度新入団選手一覧(インターネットアーカイブ同10月20日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d 古葉監督VS嶋田監督代行“元プロ指揮官対決”…東京新大学 - 『スポーツ報知』アマ野球ニュース 2008年2月28日6時4分(インターネットアーカイブ2008年3月8日付保存キャッシュ)
- ^ FULL-COUNTウェブサイト - インターネットアーカイブ2005年11月24日付保存キャッシュ ※閉鎖の告知(同9日付)あり
- ^ オリドラ6戸田、雑草魂で1軍つかむ - 『nikkansports.com』(日刊スポーツ)ドラフト会議2012ニュース 2012年11月18日11時27分(紙面から)
- ^ 硬式野球部新監督就任 - 高千穂大学公式サイトより
- ^ 『クォータリー高千穂』第62号=2017年春号(同大公式サイトで配信のPDFファイル)より、P19の記事を参照。
- ^ 【プロ野球】横浜DeNAベイスターズvsヤクルト | AbemaTV ※配信媒体について「AbemaGOLDチャンネル」、時間について4月14日(金)17:50 - 22:00と記載。
- ^ 延長枠【プロ野球】横浜DeNAベイスターズvsヤクルト | AbemaTV ※配信時間について4月14日(金)21:50 - 4月15日(土)0:00と記載。AbemaGOLDチャンネルで配信の同中継における延長枠という旨の記載あり。
参考資料
[編集]- スポーツニッポン新聞社編『'91スポニチプロ野球手帳』(1991年2月24日印刷発行、洋々社発売[1]) ISBN 4-89674-091-2
- 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』シリーズ(日本スポーツ出版社発行)
- 『'97プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1997年3月号増刊。1997年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1998年3月号増刊。1998年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 『'99プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1999年3月号増刊。1999年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズ(日本スポーツ出版社発行)
- 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。2000年3月31日発行)
- 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』(『ホームラン』2003年3月号増刊。2003年3月29日発行)
- 『週刊ベースボール』2005年2月26日増刊号「2005プロ野球全選手写真名鑑」(ベースボール・マガジン社発行)
- 『ラジオ番組表』2005年春号(『三才ムック』vol.102。2005年5月発売・6月1日発行、三才ブックス)ISBN 4861990076
- 『日本プロ野球80年史 1934-2014』(2014年12月、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4-583-10668-7
- 付録DVD-ROM「記録編」
- 各種外部リンク
脚注
- ^ 『'91スポニチプロ野球手帳』目次ページ(P1)内発行情報欄より(発行クレジット無し)。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 嶋田信敏 - NPB.jp 日本野球機構
- 高千穂大学硬式野球部サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ2016年3月4日付保存キャッシュ)
- 嶋田信敏 (@nob_shimada) - X(旧Twitter)
- 嶋田信敏 (100048573950495) - Facebook
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