市山流
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市山流 | |
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分類 | 日本舞踊 |
創始 | 江戸時代中期、嘉永5年(1853年)以前 |
創始者 | 大阪流祖市山七十郎 |
家元 | 七代目市山七十郎 |
江戸時代中期に、市山七十郎(いちやま・しちじゅうろう)が大阪で創始した流派で、分離独立した流派に「直派市山流」、「松派市山流(東京市山流)」、「正派市山流」がある[1][2]。
市山流
[編集]三代目市山七十郎の時に新潟県新潟市へと本拠地を移した。四代目以降、女性舞踊家によって継承されている流派。現在の家元は七代目市山七十郎(いちやま・なそろう)。主に新潟市の古町芸妓が踊る流派として地元で知られ、新潟市無形文化財の第一号に認定される。
主な特徴としては、大阪で創始したことから上方風の振りが多く見られるなど滑稽な踊りの中に上品さがある他、手の動きや細かい動きが多く、間やリズムを大切にすることがあげられる[3]。また、古風な振りの『娘七種』『雷のお鶴』『うしろ面』などが伝承されている[1]。
系統
[編集]- 初代 瀬川如皐(せがわ・じょこう)
- (1739年 - 1794年) - 大阪流祖市山七十郎長男。上方から東へ下り、江戸の地で名声を挙げる。
- 幼名 : 市山七蔵
- 前名 : 瀬川七蔵
- 寛政6年(1794年)1月25日歿(56)
- 二代目 市山七十郎
- (? - ?)
- 本名 : 瀬川兼五郎
- 前名 : 市山兼五郎
- 三代目 市山七十郎
- (1816年 - 1875年) - 舞踊が堪能だった俳優、岩井仲助が継ぐ。各地を旅し、晩年に新潟を訪れる。後継者が「新潟市山流」となり、門弟の市山七十吉が「直派市山流」となる。
- 本名 : 岩井仲助(いわい・なかすけ)
- 明治8年(1875年)8月28日歿(61)[4]
- 四代目 市山七十世(いちやま・なそよ)
- (1846年 - 1918年) - 宇都宮の国家老の娘に生まれ、三代目に師事。20歳の時に病床の三代目に代わって『新潟八景』の振り付けをしたことで後継者に指名され、女性だったことから「七十郎」ではなく、「七十世」を名乗る。
- 本名 : 川田トシ(しづ→ねん→トシ)。後に市山喜屋(いちやま・きおく)
- 慶応2年(1866年) - 市山七十世(初世)襲名。
- 大正7年(1918年)8月11日歿(74)
- 五代目 市山七十郎(いちやま・なそろう)
- (1889年 - 1968年) - 四代目の孫。藤間流や花柳流の門をたたいて芸を磨き、昭和23年(1948年)に市山七十郎の名跡を復活させた。妹に川田芳子がいる[5]。
- 本名 : 川田亀
- 大正5年(1916年) - 市川七十世(二世)襲名。家元相続。
- 昭和23年(1948年)3月5日 - 市山七十郎(五世)襲名。
- 昭和43年(1968年)1月26日歿(80)
- 六代目 市山七十郎
- (1921年 - 2006年) - 五代目の娘が襲名。新潟高女卒業を同時に大阪に修行の旅に出る。その後に新潟市の文化向上に尽力し、現在の古町芸妓の礎を築く。
- 本名 : 川田実子
- 昭和23年(1948年)3月5日 - 市川七十世(三世)襲名。
- 昭和45年(1970年)3月1日 - 市山七十郎襲名。六世宗家となる。[注 1]
- 平成18年(2006年)2月17日歿(84)
- 七代目 市山七十郎
- (1948年 - ) - 当代。六代目の娘。平成6年(1994年)に『うしろ面』で文化庁芸術祭賞を受賞。[1]
- 本名 : 川田純子(かわだ・すみこ)
- 昭和45年(1970年)3月1日 - 市川七十世(四世)襲名。
- 平成30年(2018年)2月17日 - 市山七十郎襲名。七世宗家となる。[6]
江戸市山流
[編集]江戸市山流(えどいちやまりゅう)。流祖市山七十郎二男、瀬川菊之丞の流派。
系統
[編集]- 振付初代 市山七十郎
- (1751年 - 1822年) - 京都の公家侍の出で、能狂言師から転じた[7]。
- 初名 : 山口勘七
- 前名 : 山口七十郎。後に市山七寿朗、七宝斎
- 寛政11年(1799年) - 祖父の市山姓を名のる。
- 文政5年(1822年)10月29日歿(60)
- 二世 市山七十郎
- (? - ?) - 江戸時代後期の舞踊振付師。初代市山七十郎の弟子[8]。
- 前名 : 市山兼次郎(いちやま・かねじろう)
直派市山流
[編集]直派市山流(なおはいちやまりゅう)。三代目市山七十郎の門弟 市山七十吉が横浜で市山直治となって新潟市山流から分離独立した。三代目市山小直の門弟市山松翁が江戸家元を再興し、現在の「東京市山流」となる[9]。
系統
[編集]- 市山直治
- (? - ?) - 三代目市山七十郎門弟、市山七十吉。
- 俳名 : 松扇
- 二代目 市山小直
- (? - ?) - 市山直治の門弟。
- 本名 : 美津
- 五代目 市山小直
- (? - ?) - 三代目の孫。
- 昭和32年(1957年)9月 - 市川小直襲名。
松派市山流
[編集]松派市山流(まつはいちやまりゅう)。東京市山流とも呼ばれる。市山小直の門弟市山松翁(いちやま・しょうおう)が昭和24年(1949年)に自ら家元となって直派市山流から分離独立した新興流派。昭和28年(1953年)に松翁が没した後、その長女が市山松扇を名乗って家元となったが、松扇は昭和34年(1959年)に二代目松翁となり、その長男である松本松之助が市山松扇となった[9]。
系統
[編集]- 二世 市山松翁
- (? - ?) - 四世の長女。
- 本名 : 加藤幸
- 前名 : 市山松扇
- 昭和28年(1953年)家元継承
- 昭和34年(1959年) - 市山松翁襲名。
- 平成16年(2004年) - 市山幸を名乗る。
- 三世 市山松翁
- (? - 2017年7月[11]) - 五世の長男。
- 本名 : 加藤清
- 前名 : 市山松之助
- 俳優名 : 松本松之助
- 昭和34年(1959年) - 六世家元市山松扇襲名。
- 平成16年(2004年) - 宗家三代目市山松翁襲名。
- 平成29年(2017年)歿(76)
- 四世 市山松扇
- 前名 : 市山松之助
- 平成16年(2004年) - 七世家元市山松扇襲名。
正派市山流
[編集]正派市山流(せいはいちやまりゅう)。松派市山流五代目家元の市山松扇の妹市山松栄が昭和33年(1958年)に分離独立して建てた新興流派。
系統図
[編集]流祖市山七十郎 | |||||||||||||||||||||||||||||
初代瀬川如皐 | 瀬川菊之丞 | ||||||||||||||||||||||||||||
二代目市山七十郎 | 振付初代市山七十郎 | ||||||||||||||||||||||||||||
三代目市山七十郎 | 二代目市山七十郎 | ||||||||||||||||||||||||||||
四代目市山七十世 | 直派初代市山直治 | ||||||||||||||||||||||||||||
五代目市山七十郎 | 二代目市山小直 | ||||||||||||||||||||||||||||
六代目市山七十郎 | 三代目市山小直 | ||||||||||||||||||||||||||||
七代目市山七十郎 | 四代目市山小直 | 松派初代市山松翁 | |||||||||||||||||||||||||||
五代目市山小直 | 二代目市山松翁 | 正派初代市山松栄 | |||||||||||||||||||||||||||
三代目市山松翁 | |||||||||||||||||||||||||||||
四代目市山松翁 | |||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年6月20日。
- 『美しい新潟 - 総集編』新潟市総務局総務部広報課、1998年3月。
- 和角仁『あなたの日本舞踊・六巻』学研、2003年8月8日。
- “西川流 扇若会 - 流派事典 - 市山流”. 西川流. 2015年3月5日閲覧。
- “市山流とは: 神様からの贈物”. 松派市山流. 2015年3月5日閲覧。
- “市山七十郎(5代) とは - コトバンク”. コトバンク. 2015年3月5日閲覧。
- “市山七十郎(初代) とは - コトバンク”. コトバンク. 2015年3月5日閲覧。
- “市山七十郎(2代) とは - コトバンク”. コトバンク. 2015年3月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- 新潟市山流
- 松派市山流