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平原郡 (平安南道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯39度18分54秒 東経125度38分33秒 / 北緯39.3151358度 東経125.6425208度 / 39.3151358; 125.6425208

平安南道 平原郡
位置
各種表記
チョソングル: 평원군
漢字: 平原郡
日本語読み仮名: へいげんぐん
片仮名転写: ピョンウォン=グン
ローマ字転写 (MR): P'yŏngwŏn-gun
統計(2008年
面積: 451.53 km2
総人口: 179,492 人
人口密度: 397.52 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 平安南道
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平原郡(ピョンウォンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡。

地理

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平安南道の西部に位置する。東西に長い郡であり、西は黄海西朝鮮湾)に面する。 朝鮮中央テレビで取り上げられた、 「平原銀河布工場」があるのは、ここである。

隣接行政区

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行政区域

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1邑・2労働者区・29里を管轄する。

  • 平原邑(ピョンウォヌプ)
  • 漁波労働者区(オパロドンジャグ)
  • 漢川労働者区(ハンチョンノドンジャグ)
  • 南山里(ナムサンニ)
  • 大巌里(テアムニ)
  • 大井里(テジョンニ)
  • 大豊里(テプンニ)
  • 徳済里(トクチェリ)
  • 徳浦里(トクポリ)
  • 両橋里(リャンギョリ)
  • 龍上里(リョンサンニ)
  • 龍二里(リョンイリ)
  • 梅田里(メジョンニ)
  • 文興里(ムヌンニ)
  • 三峯里(サンボンニ)
  • 上松里(サンソンニ)
  • 石橋里(ソッキョリ)
  • 石巌里(ソガムニ)
  • 松林里(ソンニムニ)
  • 松石里(ソンソンニ)
  • 松花里(ソンファリ)
  • 新成里(シンソンニ)
  • 新松里(シンソンニ)
  • 深源里(シムォンニ)
  • 雲龍里(ウルリョンニ)
  • 雲峯里(ウンボンニ)
  • 院巌里(ウォナムニ)
  • 元和里(ウォヌァリ)
  • 月逸里(ウォリルリ)
  • 青龍里(チョンニョンニ)
  • 青宝里(チョンボリ)
  • 和津里(ファジンニ)

歴史

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前近代

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高麗時代には防禦使が設置され、1018年には西京に直属して永清県と呼ばれた。1256年には安仁鎮に属したが、高麗末期の1358年には再び永清県となった。

朝鮮王朝成立後の1396年には永寧県と改称され、1423年には永柔県と改称した。

近代

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1895年平安道永柔県は平壌府所属の永柔郡となり(二十三府制)、1896年には平安南道所属となった。

1914年、永柔郡・粛川郡順安郡平壌府の一部(徳山面)、甑山郡の一部(漢川面)が統合され、平原郡が設置された。日本統治時代の平原郡は、平壌府(平壌市)の西北郊外一帯を占める広大な郡であった。

1945年8月時点で、平原郡は以下の1邑15面から構成されていた。

  • 永柔邑 - 영유읍【永柔邑】 (ヨンユ=ウプ)
  • 公徳面 - 공덕면【公德面】 (コンドク=ミョン)
  • 東岩面 - 동암면【東岩面】 (トンアム=ミョン)
  • 順安面 - 순안면【順安面】 (スナン=ミョン)
  • 両花面 - 양화면【兩花面】 (ヤンファ=ミョン)
  • 徳山面 - 덕산면【德山面】 (トクサン=ミョン)
  • 検山面 - 검산면【檢山面】 (コムサン=ミョン)
  • 鷺池面 - 노지면【鷺池面】 (ノジ=ミョン)
  • 漢川面 - 한천면【漢川面】 (ハンチョン=ミョン)
  • 東松面 - 동송면【東松面】 (トンソン=ミョン)
  • 西海面 - 서해면【西海面】 (ソヘ=ミョン)
  • 粛川面 - 숙천면【肅川面】 (スクチョン=ミョン)
  • 龍湖面 - 용호면【龍湖面】 (ヨンホ=ミョン)
  • 朝雲面 - 조운면【朝雲面】 (チョウン=ミョン)
  • 青山面 - 청산면【靑山面】 (チョンサン=ミョン)
  • 海蘇面 - 해소면【海蘇面】 (ヘソ=ミョン)

第二次世界大戦後

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1947年、順安面・両花面・東岩面を大同郡に移管した。

1952年12月、北部を粛川郡として分離し、鷺池面・平原面(永柔邑)・青山面・公徳面・漢川面の全域および龍湖面・徳山面の各一部からなる平原郡を再構成した(1邑25里)。

1972年4月には順安郡の4里を編入した。

2003年の時点で、1邑2労働者区(漁波・漢川)29里から構成される。

年表

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この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安南道永柔郡順安郡粛川郡および甑山郡の一部(草谷面・津坊面)、平壌府の一部(徳山面)が合併し、平原郡が発足。平原郡に以下の面が成立。(18面)
    • 永柔面・鷺池面・青山面・龍湖面・海蘇面・順安面・両花面・龍興面・東頭面・公平面・自徳面・粛川面・東松面・検山面・朝雲面・西海面・漢川面・徳山面
  • 1914年10月 - 龍興面が石岩面に改称。(18面)
  • 1929年4月1日 (16面)
    • 東頭面・石岩面が合併し、東岩面が発足。
    • 公平面・自徳面が合併し、公徳面が発足。
    • 永柔面が平原面に改称。
  • 1947年 - 順安面・両花面・東岩面が大同郡に編入。(13面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道平原郡鷺池面・平原面・青山面・公徳面・漢川面および龍湖面・徳山面の各一部地域をもって、平原郡を設置。平原郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
    • 平原邑・長興里・龍上里・新成里・両橋里・院巌里・松林里・月逸里・松石里・三峯里・大巌里・大井里・文興里・徳済里・徳浦里・雲峯里・石橋里・梅田里・青龍里・雲龍里・和津里・新松里・南山里・青宝里・深源里・松花里
  • 1954年 - 月逸里の一部が平原邑に編入。(1邑25里)
  • 1967年 (1邑1労働者区24里)
    • 松石里の一部が三峯里に編入。
    • 長興里が漁波労働者区に昇格。
  • 1972年4月 - 順安郡山陰里・石巌里・龍二里・上松里を編入。(1邑1労働者区28里)
  • 1990年 - 雲龍里・梅田里・新松里の各一部(新しく開墾された干拓地)が合併し、大豊里が発足。(1邑1労働者区29里)
  • 1992年 - 和津里・新松里の各一部が合併し、漢川労働者区が発足。(1邑2労働者区29里)
  • 1997年5月 - 院巌里の一部が龍二里に編入。(1邑2労働者区29里)

交通

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鉄道

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出身者

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  • 金容淳 - 北朝鮮の政治家、1934年平原郡生まれ。

脚注

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外部リンク

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