弔問外交
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弔問外交(ちょうもんがいこう)とは、元首や政府要人などの死去に伴う葬儀(国葬を含む)において、各国の政府要人らが会葬する機会を利用して展開する外交のこと[1][2]。一般には各国からの弔問団の派遣を受け入れる形で多国間で行われるものを指すが、緊張関係にある二国間で弔問団の派遣と受入れが行われる場合も弔問外交と呼ばれる場合がある[3]。
概要
[編集]元首や政府要人が在任中に死去した場合の葬儀の場合が対象となるが、中には元首や行政府長の経験者の死去の場合もある。
昔は移動において時間がかかった為に、本国で活動する政府要人が外国の葬式に参列できないことが多く、現地に滞在する大使等しか参列できないこともあった。後に、鉄道や飛行機等の科学技術の進歩で移動時間が短くなると、本国の政府首脳や政府高官らが外国の葬式に参列できるようになった。
弔問外交においては、国家が派遣する肩書きにも注目される。葬儀に参列する人間には、国家元首や行政府長の場合、君主国では君主の親族の場合、閣僚の場合、政府首脳経験者が特派大使となる場合など様々である。
国際社会における死者の重要性が大きいほど、参集する政府代表の格も高くなる傾向があり、弔問外交も活発化する。また、病死、事故、暗殺など、死が予期できうる性格なのか突然起こって予期できない性格なのかで国際的注目度や事前準備が変わるため、政府代表の格などの対応が変わってくる。
普段は敵対勢力の国家間が、国葬の際に顔を会わせる機会となり、首脳会談が行われる機会にもなる。
現役で死去した最高指導者の葬儀の場合は、新指導者・指導部による外交の事始めとして注目される[4]。
具体的事例
[編集]「弔問外交」と呼ばれた事例
- ヨシップ・ブロズ・チトー(1980年5月)
- 非同盟主義国ユーゴスラビアの最高指導者(ユーゴスラビア共産主義者同盟総書記・前大統領)であるチトーの葬儀には、対立中のソビエト連邦最高指導者ブレジネフを含めた東西両陣営および非同盟主義国の首脳が参集した。代表が参列した国は119か国とされる[6]。
- レオニード・ブレジネフ[4](1982年11月)
- ソビエト連邦共産党書記長在任中に死去したブレジネフの葬儀は、後継指導者アンドロポフの外交デビューの場となる。以降、立て続けに書記長のアンドロポフ、チェルネンコが死去し、同様に葬儀が新書記長の顔見世の場となった。
- マミー・アジュワ[7](1983年3月)
- コートジボワール大統領フェリックス・ウフェ=ボワニの姉。本人の政治的活動は特に無かったにもかかわらず、アフリカ諸国から、大統領8名・元首名代5名・閣僚級5名、およびアフリカ統一機構事務総長が弔問に訪れた。
- 大喪の礼に164か国の代表が参列し、それまで最大とされたチトーの葬儀を上回るものと言われた[6]。長年対立してきた中国とインドネシアの国交回復交渉の開始[9]や、当時懸案の中東和平について首脳間のやりとりがあったとされる[2]。
- イツハク・ラビン[2](1995年11月)
- ヤーセル・アラファート[2](2004年11月)
- ヨハネ・パウロ2世[10](2005年4月)
- マーガレット・サッチャー[11](2013年4月)
- ネルソン・マンデラ[12](2013年12月)
- 南アフリカ共和国元大統領。「史上最大規模の弔問外交」と言われた[13]。
- シンガポールの初代首相。
- 168ヵ国500人以上の国家元首や高官が招待され、2,000人のゲストが参列した。
脚注
[編集]- ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出弔問外交に関する質問に対する答弁書 2007年(平成19年)5月15日 第1次安倍内閣
- ^ a b c d e 弔問外交 / ワードBOX / 西日本新聞 (2005年4月6日)
- ^ “弔問外交でも対南工作 韓国内の対立あおる”. CHUNICH Web. (2011年12月24日) 2013年12月11日閲覧。
- ^ a b 外交青書 わが外交の近況 1983年版(第27号) 第3部 資料編 III 年表1 国際編(1) 日本国外務省
- ^ 外務省: 外交記録文書の公開別添概要 2010年11月19日
- ^ a b 平成2年 警察白書 第7章 公安の維持 1. 総力を挙げて取り組んだ大喪の礼警備 (5)過去最大の警備 日本国警察庁
- ^ 原口武彦 コート・ジボワールの弔問外交 アフリカレポート(5) アジア経済研究所 1987年9月
- ^ 飯田三郎 「大喪の礼」を前にすでに始まった弔問外交(世界の眼)
- ^ 「[社説]中国・インドネシア和解に道つけた東京会談」1989年2月27日読売新聞朝刊
- ^ 首脳ら参列「弔問外交」へ 8日のローマ法王葬儀 共同通信 2005年4月5日
- ^ “サッチャー氏葬儀は来週 各国要人の弔問外交も”. ryukyushimpo.jp. (2013年4月9日) 2013年12月11日閲覧。
- ^ “追悼ムードの南ア、国葬へ…マンデラ氏死去”. YOMIURI ONLINE. (2013年12月7日) 2013年12月11日閲覧。
- ^ 【マンデラ氏死去】史上最大規模の弔問外交に - MSN産経ニュース(2013年12月6日)
- ^ “29日国葬は弔問外交の場に”. 産経新聞. (2015年3月24日)
- ^ “【李登輝氏死去】台湾、見据える弔問外交 中国を牽制、コロナが懸念材料”. 産経新聞. (2020-0731) 2020年9月27日閲覧。
- ^ “英女王の国葬前に「弔問外交」、トラス首相が各国首脳と初対面…チャールズ国王外交デビューへ : 読売新聞” (2022年9月17日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ “エリザベス女王の国葬に各国元首ら500人続々到着、弔問外交を展開 参列者2000人、全世界41億人が生中継視聴か:東京新聞 TOKYO Web” (2022年9月18日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ “安倍氏国葬に4300人、割れる賛否 首相は弔問外交アピール”. ロイター (2022年9月27日). 2023年9月16日閲覧。