愛西市立八輪小学校
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愛西市立八輪小学校 | |
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北緯35度12分55.8秒 東経136度41分26.8秒 / 北緯35.215500度 東経136.690778度座標: 北緯35度12分55.8秒 東経136度41分26.8秒 / 北緯35.215500度 東経136.690778度 | |
過去の名称 | 八開村立八輪小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛西市 |
設立年月日 | 1874年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210008425 |
所在地 | 〒496-8047 |
愛西市立石町宮西39 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛西市立八輪小学校(あいさいしりつ はちわしょうがっこう)は、愛知県愛西市立石町にある公立小学校。
概要
[編集]- 校区は藤ケ瀬町、給父町、高畑町、江西町、元赤目町、赤目町、立石町、下大牧町、塩田町、二子町(定納、柳原、松原)であり、公立中学校の進学先は愛西市立八開中学校である[1]。
- 旧・海部郡八開村南部(旧・八輪村)の小学校であった。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)1月 - 高畑村に求益学校が開校する。立石村、藤ケ瀬村、給父村、江西村、高畑村、下大牧村、元赤目村、赤目村の児童が通学する。
- 1876年(明治9年)12月 - 立石村に校舎を新築し、移転する。同時に立石学校に改称する。
- 1877年(明治10年)7月 - 藤ケ瀬村と給父村が立石学校から離脱し、藤ケ瀬村に藤ケ瀬学校が開校する。
- 1880年(明治13年)4月 - 赤目村が立石学校から離脱し、赤目村に赤目学校が開校する。
- 1887年(明治20年)4月 - 立石学校、藤ケ瀬学校、赤目学校が統合され、尋常小学八輪学校となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 立石村、藤ケ瀬村、給父村、江西村、高畑村、下大牧村、元赤目村、赤目村が合併し、八輪村が発足する。
- 1892年(明治25年) - 八輪尋常小学校に改称する。
- 1901年(明治34年) - 組合立北部高等小学校が開校する。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 八輪村、開治村、六ツ和村の一部(塩後)が合併し八開村が発足。塩後は八輪尋常小学校校区に加わる。
- 1907年(明治40年) - 組合立北部高等小学校が廃校となる。八開高等小学校が開校する。
- 1911年(明治44年) - 八開高等小学校が廃校となる。八輪尋常小学校に高等科を設置し、八輪尋常高等小学校に改称する。
- 1918年(大正7年) - 八開高等小学校[注釈 1]が開校する。八輪尋常高等小学校の高等科を廃止し、八輪尋常小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 八開村立八輪国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 八開村立八輪小学校に改称する。
- 1952年(昭和27年)2月 - 校舎を新築する。
- 1973年(昭和48年)7月 - プールが完成する。
- 1979年(昭和54年)1月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1982年(昭和57年)3月 - 体育館が完成する。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 佐織町、佐屋町、立田村、八開村が合併し、愛西市が発足。同時に愛西市立八輪小学校に改称する。
交通アクセス
[編集]- 愛西市巡回バス八開ルート「八開郵便局」バス停より徒歩約3分。