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新屋晃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新屋 晃
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県垂水市
生年月日 (1955-02-01) 1955年2月1日(69歳)
身長
体重
170 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1972年 ドラフト6位
初出場 1974年9月26日
最終出場 1978年4月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

新屋 晃(しんや あきら、1955年2月1日 - )は、鹿児島県[1]出身のプロ野球選手内野手)、プロ野球審判員

来歴・人物

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鹿児島県の照国高校(現在の鹿児島城西高校)では、1972年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、鹿児島商工に敗退。同年のドラフト会議日拓ホームフライヤーズに6位指名され入団[1]1977年には一軍に定着し、二塁手として12試合に先発出場。7月には一番打者としても起用される。しかし1978年には出場機会が減少し、同年限りで引退[1]

1979年パシフィック・リーグ審判部に入局した[1]。審判員同期に、セントラル・リーグ元審判員の鷲谷亘がいる。審判員袖番号は29(1979年採用~2004年退職まで。※29は1977年初採用から1978年引退まで吉田正男がつけていた番号だったが現在は空番。)。小柄ながら長く中堅審判員として活躍していたが、後年は一軍試合出場が減り、最後の年は球審をすることはなかった。通算1703試合に出場し、オールスターゲーム2回(1987年、1994年)出場、日本シリーズの出場はない。10.19第2試合で二塁塁審1987年5月23日新潟県柏崎市佐藤池野球場で行われた南海 - ロッテ・オリオンズ戦(最後のサスペンデッドゲーム)で球審を務めていた。

引退後は、埼玉県上尾市硬式ボールなどを扱う事業を行っている傍ら、エバーグリーンアンパイヤクラブに所属し技術指導を行なっている。

2006年には、日本学生野球協会の特別審査で承認を得て、関甲新学生リーグの審判員になることが認められた。審判技術指導を行う元プロ野球審判員は多いが、大学野球で現役審判を務めるのは彼が第一号となる。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1974 日本ハム 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1977 34 43 38 6 8 1 0 0 9 1 4 0 2 0 0 0 3 7 1 .211 .268 .237 .505
1978 7 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:3年 44 43 38 7 8 1 0 0 9 1 4 1 2 0 0 0 3 7 1 .211 .268 .237 .505

背番号

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  • 57 (1973年)
  • 43 (1974年 - 1978年)

審判出場記録

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(記録は2004年シーズン終了時)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、285ページ

関連項目

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外部リンク

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