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昭侯(しょうこう、生年不詳 - 紀元前739年)は、中国の春秋時代の晋の君主。姓は姫、名は伯。
晋の文侯の子として生まれた。紀元前746年、文侯が死去すると、後を嗣いで昭侯が晋侯として即位した。文侯の弟の成師が曲沃に封ぜられ、桓叔と号した。紀元前739年、晋の大臣の潘父が昭侯を殺害し、曲沃の桓叔を迎えようとした。桓叔が晋の都の翼に入ろうとすると、晋の人々は兵を発して桓叔を攻撃した。桓叔は敗れて曲沃に撤退した。晋の人々は昭侯の子の孝侯を晋侯として擁立した[1]。
- ^ 『史記』晋世家
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成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂
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翼宗家 |
- 昭侯前745-前739
- 孝侯前739-前724
- 鄂侯前723-前718
- 哀侯前717-前710
- 小子侯前709-前706
- 晋侯緡前706-前679断絶
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曲沃分家 |
- 桓叔前745-前731
- 荘伯前731-前716
- 武公前716-前678
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- 武公前678-前677
- 献公前676-前651
- 奚斉前651
- 卓子前651
- 恵公前650-前637
- 懐公前637-前636
- 文公前636-前628
- 襄公前627-前621
- 霊公前620-前607
- 成公前606-前600
- 景公前599-前581
- 厲公前580-前573
- 悼公前572-前558
- 平公前557-前532
- 昭公前531-前526
- 頃公前525-前512
- 定公前511-前475
- 出公前474-前457
- 哀公前456-前438
- 幽公前437-前420
- 烈公前419-前393
- 孝公前392-前378
- 静公前377-前376
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