木藤裕次
木藤 裕次 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
木藤 裕次 木藤 拓也 木藤 勝利 デッドボール木藤 YUJI KITO |
本名 | 木藤 裕次 |
ニックネーム | 鶯谷の帝王 |
身長 | 177cm |
体重 | 92kg |
誕生日 | 1976年5月2日(48歳) |
出身地 | 愛知県小牧市 |
所属 | フリー |
デビュー | 1997年3月10日 |
木藤 裕次(きとう ゆうじ、1976年5月2日 - )は、日本の男性プロレスラー。愛知県小牧市出身。
来歴
[編集]愛知県立小牧高校を卒業後、JWA東海プロレスでアマチュアデビュー。その後IWA・JAPANに入門し、1997年3月10日、千葉・館山市民センターでの佐藤孝至戦でプロデビュー。
2000年にはアメリカ遠征を決行し、BZWヘビー級王座を奪取する。
帰国後はヒールに転じ、「ブレーキの壊れた原付[1]」の異名を取り、タイガー・ジェット・シンと暴れまわる。2002年、シンと決別してIWA正規軍復帰。
2005年、IWAを退団。
2006年11月、BRAVES旗揚げに参加。リングネームをYUJI KITOとしてHIRO KONDOと「アロマナックルズ」を結成。
2007年、フリーに転向し、地元のDEPなどインディ団体を転戦する。
2011年1月29日、SMASHワールドトライアウトに出場。以降SMASHにレギュラー参戦。なお、SMASHには当初本名で参戦していたが、矢郷良明より改名を勧められ、6月20日より木藤 勝利(きとう かつとし)と改める[2]。だが、改名後初の試合で奮わず木藤 拓也に再改名した[3]。なお、SMASH以外のインディ団体では引き続きYUJI KITOを使用している。
2012年のSMASH解散後、TAJIRIよりWrestling New Classic入団の誘いを受けるが参戦はするも所属契約は拒否し、自主興行「クズプロ」を6月2日に新木場1stRINGで旗揚げすると発表した[4]。クズプロ旗揚げ後はリングネームを木藤拓也に統一した。
2014年6月を最後に主戦場のWNCが活動停止。7月17日のWNC-REINA新木場大会よりリングネームを本名に戻す[5]。その後はREINA及びガンバレ☆プロレスを中心に活動。
2015年4月、ASUKA PROJECTへの所属が発表された[6]。またVKFで結成されたIWA連合軍ではデッドボール木藤のリングネームで戦う[7]。
2019年3月18日、所属していたASUKA PROJECTが後楽園ホール大会をもって解散。以後フリーとして活動。
得意技
[編集]- バルス - ボディスラムの要領で抱えあげたのち、相手の態勢をサイドに入れ替えマットに叩きつける技。
- スプラッシュ
- ヘッドロック
- フィッシャーマンバスター
- IWAスペシャル
タイトル歴
[編集]- BZWヘビー級王座
- WNC王座(第7代)
リングネーム
[編集]- 木藤 裕次(本名。デビュー当時と現在)
- YUJI KITO(BRAVESなど)
- 木藤 勝利(一時期SMASHで使用)
- 木藤 拓也(SMASH→WNC時代)
- 木藤 静香(WNCで稀に使用)
- デッドボール木藤
脚注
[編集]- ^ YUJI KITO HISTORY YUJI KITO OFFICIAL HOME PAGE
- ^ 木藤が改名! 新リングネームは木藤勝利!! Smash News 2011年6月20日
- ^ 「俺をキトタクと呼んでくれ」木藤がまたまた改名! 新リングネームは木藤拓也!! Smash News 2011年7月22日
- ^ “木藤、6月に新木場で「クズプロ」旗揚げ”. デイリースポーツ. (2012年5月9日)
- ^ 昨日、REINA事務所に木藤拓也らしき人物から電話が入ったと報告を受けた。
- ^ “4月25日(土)ASUKA王子大会試合結果速報”. ASUKA PROJECT (2015年4月25日). 2015年5月10日閲覧。
- ^ “VKF 7.13新木場大会 バッファロー&くいしんぼうvs.松田&木藤、GENTAROvs.矢郷 ”. バトルニュース (2015年7月14日). 2015年10月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- SMASH
- 木藤裕次 (@910kito) - X(旧Twitter)
- YUJI KITO OFFICIAL HOME PAGE - ウェイバックマシン(2006年2月8日アーカイブ分)
- YUJI KITO 木藤裕次 BLOG
- 木藤裕次 ブログ
- BRAVES