コンテンツにスキップ

本多忠明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
本多忠明
本多忠明
時代 江戸時代後期 - 明治
生誕 天保4年4月23日1833年6月10日
死没 明治34年(1901年12月17日
改名 鑑三郎、忠明
戒名 実想院殿真誉義山大居士
墓所 兵庫県宍粟市山崎町上寺の大雲寺
官位 従五位下正四位肥前守
主君 明治天皇
播磨山崎藩
氏族 本多氏(平八郎家)
父母 父:本多忠鄰、母:不詳
兄弟 寅次郎、忠明有馬道純忠肇植村家壷忠禎
忠銓
テンプレートを表示

本多 忠明(ほんだ ただあき)は、播磨国山崎藩第9代(最後)の藩主。官位従五位下正四位肥前守。政信系本多家10代。

生涯

[編集]

第8代藩主・本多忠鄰の次男として誕生した。幼名は鑑三郎。

明治2年(1869年)正月晦日、父の隠居で家督を継ぐ。同年の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。同年9月、東京に移った。1876年(明治9年)11月13日に隠居し、家督は弟の忠禎が継承した[1]。明治34年(1901年)12月17日、69歳で死去した。法号は実想院殿真誉義山大居士。墓所は兵庫県宍粟市山崎町上寺の大雲寺。

栄典

[編集]

系譜

[編集]

経済学者の三木谷良一は曾孫。楽天創業者の三木谷浩史は玄孫である[3][4][5][6]

本多忠明―本多忠銓―三木谷昌子―三木谷良一―三木谷浩史

脚注

[編集]
  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、511頁。
  2. ^ 『官報』第2707号「叙任及辞令」1892年7月7日。
  3. ^ ファミリーヒストリー』2018年12月17日放送分
  4. ^ 「楽天社長・三木谷浩史、経営者としての原点は戦国武将!?『ファミリーヒストリー』」 テレビドガッチ2018.12.15 up
  5. ^ 「NHKドキュメンタリー - ファミリーヒストリー「三木谷浩史~経営者の原点」 日本放送協会
  6. ^ 「楽天・三木谷会長の幼少期はやんちゃ坊主…母が明かす「怒られてもケロっとしていました」」 2018年12月17日21時53分 スポーツ報知

参考文献

[編集]
当主
先代
本多忠鄰
山崎藩本多家
10代
1869年 - 1876年
次代
本多忠禎