本田ゆか
本田ゆか Yuka Honda | |
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出生名 | 本田ゆか |
出身地 | 日本 東京都 |
ジャンル | 電子音楽、実験音楽、即興 |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1995年 - 現在 |
共同作業者 |
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本田 ゆか(ほんだ ゆか)は、ニューヨークを拠点に活動している日本人音楽家、音楽プロデューサー、作曲家、リミキサー。様々な楽器のプレイヤーであり、作曲家、音楽プロデューサーで、チボ・マットのオリジナル・メンバーである。本田はそのキャリアの中で、ペトラ・ヘイデン、ショーン・レノン、マイク・ワット、ネルス・クライン、トリッキー、ハーパー・サイモン、ビースティ・ボーイズ、ロス・ロボス、ミッチェル・フルーム、メデスキ、マーティン・アンド・ウッド、マーク・リボー、YOSHIMI P-we、アート・リンゼイ、エディ・ブリケル、ヴィンセント・ギャロ、ルシャス・ジャクソン、デイヴ・ダグラス、バーニー・ウォーレル、カエターノ・ヴェローゾなど様々なミュージシャンと共演している。
略歴
[編集]東京都生まれ、幼年期をドイツとデンマークで過ごした。そしてフランスのエクス=アン=プロヴァンスの学校に通い、1986年11月にニューヨークへ引っ越した。幼いころからクラシックを学んでいたが、ミュージシャンになろうとは思っていなかった。ニューヨークに来たころは、日本食の雑誌に寄稿していた。
1988年、グレッグ・コーエンとマイケル・ブレアとともにCBGBのステージにキーボード奏者として初めて出演した。1989年、ボーイフレンドのダギー・ボウント(後に夫となる)、E.J. ロドリゲス、エリック・サンコとともに "The Flaming Hoops" というバンドを結成し、本田とマイケル・ブレッカーのデュエット曲を含むアルバムを発表した。1990年には、本田はジャズ・パッセンジャーズに加入し、彼らのライヴ・アルバム『Live at Knitting Factory』に出演している。また、ヒップホップ・バンドの "Rhythm Method" にも加入した。
1992年、ロンドンのクイーン・エリザベス・ホールに、マーク・リボー、バーニー・ウォーレル、ブライアン・イーノとともにアート・リンゼイのサポート・ミュージシャンとして出演。
1993年に羽鳥美保と知り合い、2人は1994年3月にチボ・マットを結成した。その前後にボウントと離婚している。羽鳥があらゆる食べ物と愛について歌い、本田が1人で電子楽器で作り上げる独特の音楽が特徴で、その年末にワーナー・ブラザースと契約した。1995年、チボ・マットは、デビュー・アルバム『Viva! La Woman』をミッチェル・フルームとチャド・ブレイクをプロデューサーに迎えて録音した[1]。同じ年、本田はジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのラッセル・シミンズらとバンド "Butter 08" を結成し、本田とシミンズのプロデュースの下でセルフタイトルのアルバムを制作した[2]。1996年は、チボ・マットと Butter 08 の両方がアルバムを発売した。
1996年から2000年までの間、ショーン・レノンと恋人関係になり、レノンの1998年のアルバム『イントゥ・ザ・サン』のプロデューサーをつとめた。2人の出会いは本田がオノ・ヨーコの曲「Talking to the Universe」のリミックスをつとめたことから始まり、サーストン・ムーア、トリッキー、ビースティ・ボーイズ、ウィーンと共演した。チボ・マットはツアーのため、ショーン・レノンとティモ・エリスをバンドメンバーに誘った。1996年から2000年までの間、複数のプロジェクトで広く活動をしていた。
チボ・マットは2001年に解散した。それ以降ニューヨークで集中して活動するようになり、デイヴ・ダグラス、スージー・イバラ、ヴィンセント・ギャロ、トレヴァー・ダン、ジム・オルーク、ジョン・ゾーンと仕事して、2枚のソロ・アルバムを発表する。2003年にはボアダムスのドラマーであるYOSHIMI P-weと、"Yoshimi and Yuka" を結成する。
2005年、EXPO2005のロバート・ウィルソン監督の3Dアニメーションで、ハル・ウィルナーと参加。Dopo Yume のアルバム『The Secret Show』にも参加している。
2006年にはショーン・レノンのアルバム『フレンドリー・ファイア』にキーボード奏者として参加し、レノンのツアーの音楽ディレクターをつとめた。2007年、イリナ・ラザレアヌのプロデュースをショーン・レノンと務めた。エディ・ブリケルのアルバム『The Heavy Circles』に曲を提供した。
2009年にはオノ・ヨーコのアルバム『ビトウィーン・マイ・ヘッド・アンド・ザ・スカイ』のアシスタント・プロデューサーをつとめ、ミキシング担当として、また、サンプラー、ピアノ、オルガン・パーカッション奏者としてクレジットされている[3]。
2009年の後半から2010年の前半にかけ、ショーン・レノン、清水ひろたか、小山田圭吾とプラスティック・オノ・バンドに加入して東京とニューヨークでコンサートを行った。また、マイク・ワット(ミニットメン)とネルス・クライン(ウィルコ)と "Floored By Four and Brother's Sister's Daughter" というグループで即興ショーを行い、クラインとは恋人関係となった。2人は、2010年11月、日本で結婚した[4]。
2010年、3枚目のソロ・アルバム『Heart Chamber Phantom』を発表。アルバムには、ショーン・レノンや清水ひろたからが参加している[5][6]。
チャーリー・ヘイデンの娘であるペトラ・ヘイデン、清水ひろたか、あらきゆうこのユニットである "IF BY YES" のデビューアルバム『SALT ON SEA GLASS』を、2011年に発表した[7]。
ディスコグラフィ
[編集]- 『Memories Are My Only Witness』 (2002年)
- 『Eucademix』 (2004年)
- 『Heart Chamber Phantoms』 (2010年)
プロデュース作品
[編集]- Butter 08 - 『Butter 08』(1996年)
- チボ・マット - 『Super Relax』(1997年)
- ショーン・レノン - 『イントゥ・ザ・サン』(1998年)
- チボ・マット - 『Stereo Type A』(1999年)
- 野宮真貴- 「Star Struck」(『Miss Maki Nomiya Sings』)(2000年)
- 坂本美雨 - 「Beautiful」(2000年)
リミックス
[編集]- オノ・ヨーコ - 「Talking to the Universe」 Rising Mixes(1996年)
- メデスキ、マーティン・アンド・ウッド - 「Sugar Craft」 Combustication Remix EP(1999年)
- HALCALI - 「タンデム」 Mutable Chromosome Remix」(2003年)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “Viva! La Woman - Chibo Matto : Credits”. AllMusic. 2012年7月14日閲覧。
- ^ “Butter 08 - Butter 08”. AllMusic. 2012年7月14日閲覧。
- ^ “Between My Head and the Sky - Yoko Ono : Credits”. Allmusic. 2012年7月14日閲覧。
- ^ “Hotwire : 魅力溢れる、逆輸入女性ミュージシャンたち”. BARKSニュース (2011年1月15日). 2012年7月14日閲覧。
- ^ “ナタリー - 本田ゆかがショーン・レノンら迎え6年ぶりのソロアルバム” (2010年1月25日). 2012年7月14日閲覧。
- ^ “SOUNDBYTES : 本田ゆか”. 本田ゆかインタビュー. KORG INC.. 2012年7月14日閲覧。
- ^ “チボ・マット本田ゆかの新ユニット、デビュー作に小山田圭吾やWilcoがゲスト参加 - musicニュース”. CINRA.NET (2011年1月31日). 2012年7月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- Yuka C. Honda (@YukaCHonda) - X(旧Twitter)
- Yuka C. Honda (@eucademix) - Instagram
- Yuka Honda - Allmusic