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朽木紘綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
朽木紘綱
時代 江戸時代後期
生誕 天保6年(1835年)8月
死没 嘉永7年閏7月19日1854年9月11日
官位 従五位下河内守
丹波福知山藩世嗣
氏族 米倉氏朽木氏
父母 米倉昌寿
朽木綱張
兄弟 紘綱米倉昌言池田頼誠米倉昌慧
安部信発米倉正直米倉昌邦
本多助実継室、恒子
朽木綱張養女
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朽木 紘綱(くつき ひろつな)は、江戸時代後期の丹波国福知山藩の世嗣。官位従五位下河内守

略歴

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天保6年(1835年)8月、武蔵国金沢藩7代藩主・米倉昌寿(福知山藩8代藩主・朽木昌綱の三男)の五男として誕生。

弘化4年(1847年)1月26日、福知山藩12代藩主・朽木綱張の養子となり、朽木綱張の養女(10代藩主・朽木綱条の娘)を正室とする。嘉永4年(1851年)4月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下・河内守に叙任する。

嘉永7年(1854年)、家督相続前に早世した。代わって、綱張の長男・為綱が世嗣となり、また為綱は紘綱の妹の恒子を娶った。