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東京極駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京極駅
ひがしきょうごく
Higashi-Kyōgoku
南京極 (3.4 km)
(1.2 km) 京極
所在地 北海道虻田郡京極町字三崎
北緯42度51分34.3秒 東経140度53分28.3秒 / 北緯42.859528度 東経140.891194度 / 42.859528; 140.891194座標: 北緯42度51分34.3秒 東経140度53分28.3秒 / 北緯42.859528度 東経140.891194度 / 42.859528; 140.891194
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 胆振線
キロ程 68.4 km(伊達紋別起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1962年昭和37年)12月17日[1]
廃止年月日 1986年昭和61年)11月1日[2]
備考 胆振線廃線に伴い廃駅[1]
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1976年の東京極駅と周囲約500m範囲。下が伊達紋別方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

東京極駅(ひがしきょうごくえき)は、北海道後志支庁虻田郡京極町字三崎にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である。事務管理コードは▲131912[3]

歴史

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駅名の由来

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「京極」の東にあるため[6]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(倶知安方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]

無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホームから少し離れていた[4]。ホーム中央部分の出入口は階段となっていた[4]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は120人[4]

駅周辺

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京極市街地のはずれに位置した[4]

駅跡

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2001年(平成13年)時点で、当駅の跡地は建築会社の資材置き場となっており[9]、2010年(平成22年)時点では空き地になっていた[10]。駅前広場が残っている。

隣の駅

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日本国有鉄道
胆振線
南京極駅 - 東京極駅 - 京極駅

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)92ページより。
  5. ^ a b 日誌(昭和37年度12月分)」『鉄道統計月報――昭和37年度12月分』、日本国有鉄道経理局審査統計課、1963年3月、doi:10.11501/2267839 
  6. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY 
  7. ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日) 
  8. ^ a b c d e 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
  9. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)70ページより。
  10. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)154ページより。

関連項目

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