東京極駅
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東京極駅 | |
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ひがしきょうごく Higashi-Kyōgoku | |
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所在地 | 北海道虻田郡京極町字三崎 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 68.4 km(伊達紋別起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1962年(昭和37年)12月17日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅[1] |
東京極駅(ひがしきょうごくえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡京極町字三崎にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲131912[3]。
歴史
[編集]- 1931年(昭和6年)6月25日 - 胆振鉄道の東倶知安停留場(ひがしくっちゃんていりゅうじょう)として開業[1]。旅客のみ取り扱い[1]。
- 1941年(昭和16年)9月27日 - 胆振鉄道が胆振縦貫鉄道に譲渡(合併)され、同時に東京極停留場に改称[1]。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化された際、廃止となる[1]。
- 1962年(昭和37年)12月17日 - 請願駅[4]として再開業[1][5]。旅客のみ取り扱い[1][5]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 業務委託化。
- 1973年(昭和48年)3月時点では、当時としては珍しく駅員が全員女性の駅であった[6]。
- 1980年(昭和55年)5月15日 - 無人駅化[7](簡易委託化)。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
[編集]「京極」の東にあるため[6]。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(倶知安方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]。
無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホームから少し離れていた[4]。ホーム中央部分の出入口は階段となっていた[4]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は120人[4]。
駅周辺
[編集]- 国道276号(尻別国道)[8]
- 北海道道784号黒橋京極線[8]
- 北海道道97号豊浦京極線[8]
- 京極町立京極中学校
- 尻別川[8]
- 羊蹄山(蝦夷富士) - 駅の西[8]。
駅跡
[編集]2001年(平成13年)時点で、当駅の跡地は建築会社の資材置き場となっており[9]、2010年(平成22年)時点では空き地になっていた[10]。駅前広場が残っている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)92ページより。
- ^ a b 「日誌(昭和37年度12月分)」『鉄道統計月報――昭和37年度12月分』、日本国有鉄道経理局審査統計課、1963年3月、doi:10.11501/2267839。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日)
- ^ a b c d e 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)70ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)154ページより。