東基吉
表示
東 基吉(ひがし もときち、明治5年3月15日(1872年4月22日)[1] - 昭和33年(1958年)4月20日[2])は、日本の教育者。
経歴
[編集]和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身[3][4]。須川家に生まれ、東家の養子となった[4]。1894年(明治27年)、和歌山県師範学校を卒業し、小学校訓導を務めた[5]。その後東京高等師範学校に入り、1899年(明治32年)に卒業した[4][5]。同年、岩手県師範学校教諭・附属小学校主事となる[4][5]。1900年(明治33年)に東京女子師範学校助教授に転じて幼稚園教育研究に従事し、1903年(明治36年)に教授に昇進した[4][5]。
1908年(明治41年)から宮崎県師範学校校長[5][6]、栃木県女子師範学校校長[5][7]、三重県女子師範学校校長[8]、大阪府池田師範学校校長[9]、宮城県師範学校校長を歴任し[10]、1925年(大正14年)に退官した[11]。
著作
[編集]- 『フレーベル氏教育論』(育成会、1900年)
- 『新編小学教授法』(帝国通信講習会、1901年)
- 『実践教育学教科書』(六盟館、1903年) 黒田定治と共著
- 『教育童話 子供の楽園』(同文館、1907年)
- 『地理科教授法』(同文館、1908年)
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 森上史朗『児童中心主義の保育 : 保育内容・方法改革の歩み』教育出版、1984年、p.44。
- ^ 津守 1958.
- ^ 新宮市. “駅前 ・ 鳩ぽっぽ記念碑とモニュメント~東くめ及び東基吉” (日本語). 2019年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e 現今日本名家列伝 1903, p. 901.
- ^ a b c d e f 大日本現代教育家銘鑒 第2輯 1915, p. 1076.
- ^ 『職員録 明治41年(乙)』印刷局、1908年、p.580。
- ^ 『職員録 明治42年(乙)』印刷局、1909年、p.215。
- ^ 『職員録 大正4年(乙)』印刷局、1915年、p.287。
- ^ 『職員録 大正7年』印刷局、1918年、p.723。
- ^ 『職員録 大正14年1月1日現在』内閣印刷局、1925年、p.336。
- ^ 「元師範学校長東基吉外五名特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113492400
- ^ 塩津洋子「「ピアノ同好会」の活動」『大阪音楽大学音楽博物館年報』第25巻、大阪音楽大学、2010年5月、5頁、ISSN 1349-4201、2020年3月20日閲覧。
- ^ “東 貞一”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年3月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、1903年。
- 斎木織三郎編『大日本現代教育家銘鑒 第2輯』教育実成会、1915年。
- 津守真「東基吉翁のこと」『幼児の教育』第57巻第8号、日本幼稚園協会、1958年8月、NAID 120001929137。
公職 | ||
---|---|---|
先代 若月岩吉 |
宮城県師範学校長 1924年 - 1925年 |
次代 小山光彦 |
先代 武井悌四郎 |
大阪府池田師範学校長 1917年 - 1924年 |
次代 森岡格 |
先代 小山光彦 |
三重県女子師範学校長 1915年 - 1917年 |
次代 三溝升一 |
先代 秋鹿見橘 |
栃木県女子師範学校長 1908年 - 1915年 |
次代 古市利三郎 |
先代 遠藤正 |
宮崎県師範学校長 1908年 |
次代 本田嘉種 |