松本喜三郎
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松本 喜三郎(まつもと きさぶろう、1825年(文政8年) - 1891年(明治24年)4月30日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した日本の人形師。作品は生人形と称された。
経歴
[編集]肥後国(現・熊本県)の商家に生まれる。早くから様々な職人技を覚え、日用雑貨を用いて人物などを仕立てる「造りもの」を手がけた。20歳の頃生きた人と見まごう等身大の人形を作ったので「生人形」と呼ばれた。そのまるで生きてるようなリアリズムは、幼き日の高村光雲にも強い感動を与えた。
やがて数十体の人形にテーマ性を持たせて製作し展示するようになった。
作品
[編集]- 幕末の1854年(嘉永7年)以降、大坂(現在の大阪)難波新地に於いて「鎮西八郎島廻り」、江戸(現在の東京)にて「浮世見立四十八癖」他を見世物にし興行した。
- 維新後の1871年(明治4年)-1875年(明治8年)、「西国三十三所観音霊験記」を浅草の奥山で興行を行った。
- 熊本県熊本市来迎院に「活人形聖観音菩薩立像」が安置されている(有形文化財)[2]。
- このほか桐生八木節まつりの山車に用いられた「桐生祇園祭「四丁目鉾」生人形素盞嗚尊」(桐生市本町四丁目自治会蔵)、絶作の「本朝孝子伝」などがある。
参考文献
[編集]- 大木透 『名匠・松本喜三郎』 熊本市現代美術館、2004年(1961年出版の同名図書の復刊)