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松浦伊平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦 伊平
まつうら いへい
松浦伊平
生年月日 (1890-01-17) 1890年1月17日
出生地 岡山県
没年月日 (1971-03-21) 1971年3月21日(81歳没)
出身校 林田高等小学校
所属政党 立憲政友会
親族 弟・松浦薫
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松浦 伊平(まつうら いへい、1890年明治23年)1月17日[1] - 1971年昭和46年)3月21日[2])は、日本実業家政治家衆議院議員(2期)。幼名・浜吉[3]

経歴

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香川県阿野郡青海村(綾歌郡松山村を経て現坂出市大屋冨町)[3]出身。林田高等小学校を卒業し、家業を手伝い、土木請負業「松浦組」を設立して社長に就任[3]。松山村議、同村長、香川県議、同副議長[2][4]などを経て、1937年第20回衆議院議員総選挙において香川2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した[5]1939年の政友会分裂に際しては久原房之助鳩山一郎とともに正統派に所属した。政友会正統派内は鳩山・三土忠造安藤正純ら鳩山系の議員が多かったが松浦は岡田忠彦津雲国利肥田琢司西村茂生東条貞らとともに久原系の議員とみなされた。続く1942年第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選[6]。戦後は旧政友会正統派の大半を占める鳩山系の議員が結党に参加した日本自由党にも、大日本政治会を母胎としながらも政友会正統派の議員が鳩山系・久原系ともに殆ど結党に参加しなかった日本進歩党にも参加せず[注釈 1][7]、岡田・津雲・肥田・西村・東条ら旧政友会正統派内の他の久原系の議員とともに院内会派・無所属倶楽部の結成に参加した[8]。だが戦時中の翼賛選挙で推薦候補だったため公職追放となった[9]。追放解除後の1952年の総選挙1953年の総選挙に続けて立候補したが落選した[10]

香川県農業会長、同県農業協力会長に就任し、農業基盤整備に尽力した[3]。1971年死亡。

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 政友会分裂時に政友会正統派に所属した議員で戦後進歩党結党に参加した者は猪野毛利栄中井一夫西川貞一依光好秋高畠亀太郎三善信房綾部健太郎の7名のみである。なお進歩党結党には参加しなかったものの、三土忠造も戦後は進歩党と連携し、進歩党が与党となった幣原内閣にも入閣した。

出典

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  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、27頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』592頁。
  3. ^ a b c d e 『香川県大百科事典』864頁。
  4. ^ 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、376頁。NDLJP:1439721 
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』120頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』131頁。
  7. ^ 第八九回帝国議会 貴族院・衆議院解説 - 歴史学者古屋哲夫の公式サイト・古屋哲夫の足跡内のページ。
  8. ^ 『戦時議会史』、538頁 - 539頁。
  9. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日1面。
  10. ^ 『朝日選挙大観』546頁。

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 中谷武世『戦時議会史』民族と政治社、1974年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。