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板倉俊彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いたくら としひこ
板倉 俊彦
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都
生年月日 1946年1月24日
没年月日 2018年
最終学歴 早稲田大学
職歴 毎日放送アナウンサー
広報室
番組審議会事務局長
活動期間 1968年 - 1997年(アナウンサーとして)
出演番組・活動
出演経歴 本文参照

板倉 俊彦(いたくら としひこ、1946年1月24日[1] - 2018年[2])は、毎日放送(MBS)の元アナウンサー

来歴・人物

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東京都出身[1]。血液型はA型早稲田大学卒業後の1968年に、アナウンサーとして毎日放送(MBS)に入社した。同期入社のアナウンサーに、角淳一青木和雄(現在はいずれもフリーアナウンサー)などがいる。元フジテレビのアナウンサー・松倉悦郎(現在は僧侶)とは、生年月日と出身大学が同じで、松倉とフジテレビでも同期だった逸見政孝や、アナウンサーとして福島テレビ(フジテレビ系列)に入社した原國雄、歴史学者・大学教授の福岡政行とも大学の同級生であった。

毎日放送への入社当初から1980年代の前半までは、MBSラジオの『毎日放送日曜(土曜)競馬』で実況を務めていた[3]。また、テレビ(MBSテレビ)・ラジオを問わず報道番組や生ワイド番組なども担当した。

阪神・淡路大震災の発生(1995年)時点では、アナウンサーとしての活動を続けながら、アナウンサー室アナウンス第一部長を兼務[4]1997年に広報室へ異動した後は、番組審議会事務局長を経て、2006年1月24日に定年で退職した。

なお、毎日放送在職中の2004年4月から2007年頃までは、社団法人デジタルラジオ推進協会大阪事務所事務局長を歴任[5]地上デジタル音声放送のPRを目的としたMBSラジオのスポットCMにも自ら出演していた。また、PHP研究所の研修用ビデオ「報・連・相」にも登場していた。

エピソード

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  • 現在もMBSテレビで放送中のローカルニュース番組『MBSニュース』では、同局がNETテレビ(現在のテレビ朝日)の系列局であった1974年4月から、担当アナウンサーの顔出し出演を開始。その最初の放送として、板倉が『ANNニュース』(NET制作・ANN系列全国ネットのニュース番組)内のローカル差し替え枠(放送時間帯不詳)の担当を任された。当日は、『ANNニュース』が京都府知事選挙の開票速報をトップニュースで扱うことになったため、板倉が毎日放送千里丘放送センター(当時)内のニューススタジオから急遽同番組にも顔出しで出演。本番直前に自分の髪の乱れに気付いたため、スタジオ内のモニターを見ながら髪を櫛で梳いていたところ、その姿が全国向けトップニュースの冒頭に映るというハプニングに見舞われた[6]
  • 毎日放送の本社機能が千里丘放送センターにあった時期には、当時の自宅から同センターまでスクーターで通勤[7]。アナウンサー時代に公表していたプロフィールでは、自身を「ひょうきんニュース・キャスター」と名乗りながら、深夜に法定速度でスクーターを走らせることを趣味に挙げていた[8]
  • 1984年10月17日放送の『あどりぶランド』では、「肖像画が日本の紙幣に使われた著名人6名を現代に蘇らせる」との想定の下に、角・藤本永治青木和雄近藤光史鎌田正明(いずれも当時は毎日放送アナウンサー)との共演で「旧札vs新札」という討論企画を実施。この企画によって、同局のアナウンサー室は、1984年度のアノンシスト賞でグランダ・プレミオ(大賞)を受賞した[9]

毎日放送アナウンサー時代の出演番組

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テレビ

ラジオ

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『こちら・あどりぶランド』 1986, pp. 18–22.
  2. ^ 正式には発表されていないが、同期入社の青木が『次は〜新福島!第2章=めばえ=』(MBSラジオ)の2019年1月24日放送分へゲストで出演した際に、板倉が前年に永眠していたことを明かした。
  3. ^ 『サンデー競馬中継 みんなの競馬』MBS競馬ヒストリー を参照
  4. ^ 毎日放送編『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか―「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』(同文社出版、1995年)より。同期入社の角も、当時はアナウンス第三部長であった。
  5. ^ デジタルラジオ推進協会・大阪放送番組審議会議事録バックナンバー
  6. ^ 毎日放送編・著『まるのまんま あどりぶランド』(シンコーミュージック1987年)に記載の「私はこれで失敗しました 板倉アナの場合」より。板倉はこのハプニングについて、「まだ(本番前の)テストだと思っていた」「(京都府知事選挙の)開票が接戦で本番直前までニュース原稿が(スタジオに)届かず、キューシートさえ見る余裕すらなかった」と同書で釈明している。
  7. ^ 前出『まるのまんま あどりぶランド』に記載の「板倉俊彦 スクーター通勤を上手に楽しむ法」より。
  8. ^ 毎日放送編・著『This is こちらあどりぶランド』(八曜社、1986年)より
  9. ^ 前出『まるのまんま あどりぶランド』より

参考文献

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  • 毎日放送 編著『こちら・あどりぶランド : This is MBS』八曜社、1986年3月15日。NDLJP:12276263 

関連人物

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