林家うん平
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Hayashiya Unpei | |
中陰花菱は林家三平一門の定紋。 | |
本名 | |
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生年月日 | 1959年12月20日(64歳) |
出身地 | 日本・東京都八王子市 |
師匠 | 林家こん平 |
出囃子 | 鯉つかみ |
活動期間 | 1979年 - |
所属 | 落語協会 アクセント |
林家 うん平(はやしや うんぺい、1959年12月20日 - )は、落語協会に所属する落語家[1]。本名∶佐取 康久。
声優・ナレータープロダクションのアクセントにも所属している。
経歴
[編集]1959年、東京都八王子市生まれ。東京都立忠生高等学校卒業。
1979年9月、林家こん平に入門[1][2]、一番弟子となる。大師匠に当たる初代三平が存命時に、こん平に弟子入りした唯一の弟子。1980年12月に楽屋入り。前座名「うん平」[1][2]。
1995年3月に柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、三遊亭吉窓、初音家左橋、古今亭菊輔、金原亭生駒、柳家一九、桂扇生とともに真打昇進[1][2]。
芸歴
[編集]人物
[編集]師匠のこん平が監督・発起人を務めていた、らくご卓球クラブの会員でもある[2]。
1984年から笑点のアシスタントとして山田隆夫と同時期に加入し、1997年まで出演していた。
師匠のこん平の多発性硬化症発症から亡くなるまでの闘病生活においての看病サポートは大きく、こん平死去時に初代三平の妻・海老名香葉子がマスコミ向けに発表した追悼文でも名前を挙げて感謝されている[3]。こん平の家族葬にも弟子代表として唯一列席した[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 林家うん平 - 落語協会
- ^ a b c d e 公式サイトのプロフィールページより
- ^ “初代三平さんの妻・海老名さん、こん平さん死去に「老いた私より先に逝くなんて」”. iza!. 産経デジタル (2020年12月21日). 2020年12月22日閲覧。 “闘病中献身的に看病してくれた三女紫保さん 直弟子 うん平、ぼたんに感謝せずにいられません”
- ^ “林家こん平さん、自宅で最期迎えたい…終末医療選択”. 日刊スポーツ (2020年12月21日). 2020年12月22日閲覧。 “家族葬には、子供や孫、ひ孫ら親族に、弟子の代表として林家うん平だけが参列した”