コンテンツにスキップ

柳川精四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳川 精四郎(やながわ せいしろう、1872年1月30日(明治4年12月21日[1]) - 1957年昭和32年)1月23日[2])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家実業家福岡県若松市長。旧姓は安富[3]

経歴

[編集]

安富精勤の四男として新潟県に生まれ、柳川まつの養子となる[3]。石炭商を営む傍ら、1910年(明治43年)4月、若松町会議員に当選し、同市会議員、同議長、若松商工会議所会頭、若松石炭商同業組合長などを歴任した[1]1938年(昭和13年)9月6日、若松市長に当選し、同月12日に就任した[1]。ほか、日本赤十字社福岡支部若松委員長、若松第一信用組合理事、帝国鋳物、日本農業各取締役、戸畑鋳物、国産工業各監査役など務めた[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 帝国自治協会 1938, 66頁.
  2. ^ 「柳川精四郎氏(元若松市長)」『毎日新聞』1957年1月24日、9面。
  3. ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 福岡65頁.

参考文献

[編集]