コンテンツにスキップ

榎本達也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
榎本 達也
名前
愛称 エノ[1]
カタカナ エノモト タツヤ
ラテン文字 ENOMOTO Tatsuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-03-16) 1979年3月16日(45歳)
出身地 東京都練馬区[2]
身長 190cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足[3][4]
ユース
1985-1990 日本の旗 蕨市北町サッカースポーツ少年団(蕨市立北小学校)[5][4]
1991-1993 日本の旗 蕨市立第二中学校[5][4]
1994-1996 日本の旗 浦和学院高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2006 日本の旗 横浜F・マリノス[注 1] 112 (0)
2007-2010 日本の旗 ヴィッセル神戸 107 (0)
2011-2012 日本の旗 徳島ヴォルティス 14 (0)
2013-2014 日本の旗 栃木SC 46 (0)
2015-2016 日本の旗 FC東京 4 (0)
2016 日本の旗 FC東京U-23 7 (0)
通算 290 (0)
代表歴
1998-1999  日本 U-19/20 0 (0)
1998  日本 U-21
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

榎本 達也(えのもと たつや、1979年3月16日 - )は、東京都練馬区生まれ[2]埼玉県蕨市育ち[6]の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)

来歴

[編集]

選手時代

[編集]

兄の影響で[7] 小学校1年生(6歳)時にサッカーを始める[5][4]。1996年に埼玉県選抜として国体に出場し、大型GKとして注目を集めた[5]

浦和学院高等学校卒業後の1997年横浜マリノスに入団。1998年、U-19日本代表において櫛野亮曽ヶ端準との定位置争いを制しAFCユース選手権で準優勝。翌年開催のワールドユース出場権を勝ち取ったが、U-20日本代表正GKには南雄太が据えられたため、出場機会を得られずに終わった。

2000年8月5日、J1・2nd第8節鹿島戦で負傷した正GK川口能活に代わって[8] リーグ戦初出場。その後川口の復帰により控えに戻るも、2001年10月には川口が退団したため[6]クラブでの定位置を得た。直後にあったナビスコカップ決勝戦では退場者を出す苦しい展開の中、磐田の攻撃を零封[1]PK戦でも相手PKを3本止める活躍を見せ[6]、大会MVPに輝いた[1]。2004年に行われた浦和とのチャンピオンシップでは、PK戦で相手PKを2本止め[9] J1連覇に貢献[10]2005年以降は榎本哲也とのポジション争いで出場機会を減らした。

2007年ヴィッセル神戸へ完全移籍[11][12]2008年からは副主将を務めた。正GKとして活躍を続けていたが、2010年4月の浦和戦で中心性頸髄損傷によって離脱[13]。夏場にかけて復帰するも、J1第20節山形戦及び同22節京都戦で退場処分を受けるなど[14] 振るわず[注 2]、監督交代を境に第23節以降は徳重健太にポジションを奪われた。同シーズンを以て、神戸との契約を満了。

2011年徳島ヴォルティスへ完全移籍[17][18]。副主将を任されるも[19]、同年2月の練習中に左アキレス腱断裂[20]。同年10月のJ2第31節京都戦で復帰し、果敢なプレーを見せたが[21]オ・スンフンから正GKの座を奪取するには至らず、通年4試合の出場に留まった。2012年は背番号を1に改め、オに代わって開幕から正GKを務めたが、チームの状態が上向かず中盤戦にはベンチに降格。終盤戦にはベンチ外となり、同年限りで退団。

2013年栃木SCへ完全移籍[22][23]。神戸在籍時の指揮官であり、サッカー観が似通っていて「肌に合う」という[10]松田浩監督によって正GKに据えられた。松田が退任し、阪倉裕二が監督に就任した2014年は鈴木智幸が正GKに据えられたため控えとなったが、出場間隔が開く中でも安定感を失わずにプレー[24]。しかし、高年俸と年齢がネックとなり[24] 契約満了を迎えた[25]。12月3日、トライアウトに最年長選手として参加した[26]

2015年、FC東京へ完全移籍[27][2]。第2GKとしてベンチ入りを続け、8月以降は離脱した正GK権田修一に代わって[28] 5年ぶりのJ1リーグ戦出場を果たした[29]。的確な判断とポジショニングで[30] 好守を続けていたが[31]ナビスコカップ準々決勝鹿島戦では自身のミスから大敗を招き[32] 以後は新加入のブラダ・アブラモフにポジションを明け渡した。2016年はベンチ外になる試合も多かったが、たとえ控えでも自分がチームを支えているという自負をもって先発選手を送り出す姿勢は他の選手に大きな影響を与えた[33]。同年末、契約満了により退団[34]

指導者時代

[編集]

2016年限りで現役を引退し、2017年よりFC東京普及部コーチに就任[35]。2017年4月11日にはブラインドサッカー強化選手にも選ばれた。

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

エピソード

[編集]
  • 横浜F・マリノス所属時のチームメイトで同じGKの榎本哲也は名前が似ているだけで血縁は無い。ただ、当時より二人を兄弟であると勘違いしていたファンは多く、ヴィッセル神戸移籍加入時にもファンから兄弟対決について質問を受けた。その際に榎本はファンの発言を否定はせずに、発言の中で哲也のことを「哲也君」と呼ぶことで兄弟ではないことを暗示した。

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 横浜M 32 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 16 0 0 4 0 0 0 4 0
1999 横浜FM J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 3 0 2 0 0 0 5 0
2001 5 0 3 0 1 0 9 0
2002 1 30 0 6 0 2 0 38 0
2003 15 0 4 0 2 0 21 0
2004 30 0 4 0 0 0 34 0
2005 11 0 2 0 1 0 14 0
2006 18 0 5 0 0 0 23 0
2007 神戸 31 0 1 0 0 0 32 0
2008 25 0 6 0 0 0 31 0
2009 34 0 2 0 0 0 36 0
2010 17 0 1 0 0 0 18 0
2011 徳島 23 J2 4 0 - 1 0 5 0
2012 1 10 0 - 0 0 10 0
2013 栃木 37 36 0 - 1 0 37 0
2014 10 0 - 0 0 10 0
2015 FC東京 13 J1 4 0 3 0 2 0 9 0
2016 0 0 0 0 0 0 0 0
F東23 J3 7 0 - - 7 0
通算 日本 J1 223 0 43 0 8 0 274 0
日本 J2 60 0 - 2 0 62 0
日本 J3 7 0 - - 7 0
総通算 290 0 43 0 10 0 343 0
出場歴
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 横浜FM 1 5 0
2005 2 0
2016 FC東京 13 0 0
通算 AFC 7 0
その他の国際公式戦

個人タイトル

[編集]

代表歴

[編集]

指導歴

[編集]
  • 2017年 - FC東京 普及部コーチ[35]

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ a b 1999年に「横浜マリノス」から「横浜F・マリノス」へ改称。
  2. ^ いずれも3人の交代枠を使い切った後に退場処分を受けており、山形戦ではFW都倉賢、京都戦ではDF河本裕之が急遽GKを務めた[15][16]
出典
  1. ^ a b c 横浜初V 榎本達で勝った - ウェイバックマシン(2001年11月2日アーカイブ分) スポーツニッポン (2001年10月28日)
  2. ^ a b c 榎本達也選手 完全移籍加入決定のお知らせ FC東京 (2015年1月9日)
  3. ^ 2010 > Jリーグ選手名鑑 - ウェイバックマシン(2010年7月26日アーカイブ分) スポーツニッポン
  4. ^ a b c d e f 週刊サッカーダイジェスト J1&J2選手名鑑2013』日本スポーツ企画出版社、2013年、208頁。 
  5. ^ a b c d e f 榎本達也 (横浜F・マリノス)「孤高の達人」 - ウェイバックマシン(2007年7月6日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2002年4月25日)
  6. ^ a b c 榎本PK3発止めた! 横浜初V - ウェイバックマシン(2001年12月8日アーカイブ分) 日刊スポーツ (2001年10月28日)
  7. ^ スポーツパーソン8 榎本達也選手 (横浜マリノス、ゴールキーパー) - ウェイバックマシン(2005年4月16日アーカイブ分) 三省堂
  8. ^ ゲームレポート - ウェイバックマシン(2001年2月19日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2000年8月5日)
  9. ^ 横浜M、2年連続栄冠 Jリーグ年間王者決定戦 47NEWS (2004年12月11日)
  10. ^ a b 【2013シーズン新加入選手紹介】榎本達也選手 栃木SC (2013年1月10日)
  11. ^ 榎本達也選手、ヴィッセル神戸へ完全移籍 - ウェイバックマシン(2007年2月19日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2006年12月25日)
  12. ^ 横浜F・マリノスよりGK榎本達也選手完全移籍加入決定 - ウェイバックマシン(2007年3月1日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2006年12月25日)
  13. ^ GK榎本達也選手の負傷について ヴィッセル神戸 (2010年5月11日)
  14. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2010年12月4日)
  15. ^ 神戸FW都倉が急きょ代役GK/J1 日刊スポーツ (2010年8月23日)
  16. ^ GKも退場で完敗…神戸が降格圏に/J1 日刊スポーツ (2010年9月11日)
  17. ^ GK榎本達也選手、徳島ヴォルティスへ完全移籍決定のお知らせ ヴィッセル神戸 (2011年1月12日)
  18. ^ 榎本達也選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ 徳島ヴォルティス (2011年1月12日)
  19. ^ 2011年シーズン キャプテン決定のお知らせ 徳島ヴォルティス (2011年2月24日)
  20. ^ 榎本選手負傷のお知らせ 徳島ヴォルティス (2011年2月20日)
  21. ^ 守護神・榎本が今季初出場の徳島は佐藤2発で京都を下す ゲキサカ (2011年10月16日)
  22. ^ 榎本達也選手 栃木SCへ完全移籍のお知らせ 徳島ヴォルティス (2012年12月13日)
  23. ^ 榎本達也選手 完全移籍加入のお知らせ 栃木SC (2012年12月13日)
  24. ^ a b 月刊J2マガジン 2015年3月号』ベースボール・マガジン社、2015年、41頁。 
  25. ^ 栃木SC 契約満了選手のお知らせ 栃木SC (2014年11月26日)
  26. ^ 栃木GK榎本らJ2、J3から74人参加 日刊スポーツ (2014年12月3日)
  27. ^ 榎本達也選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2015年1月9日)
  28. ^ 権田の代役は俺に任せろ!! 榎本が甲府戦に意気込み 東京中日スポーツ (2015年8月10日)
  29. ^ 【試合詳報】GK榎本 5年ぶりピッチ 東京中日スポーツ (2015年8月13日)
  30. ^ “偶然”がハマったFC東京の2得点 “必然”で勝利に導いたGK榎本 47NEWS (2015年8月20日)
  31. ^ FC東京・榎本が好セーブ「チームは少しずつ成熟している」 サンケイスポーツ (2015年8月23日)
  32. ^ 【試合詳報】榎本 痛恨ミス 東京敗退 vs.鹿島 東京中日スポーツ (2015年9月7日)
  33. ^ F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO Vol.13』フロムワン、2015年、19頁。 
  34. ^ 榎本達也選手 契約満了のお知らせ FC東京 (2016年11月22日)
  35. ^ a b 榎本達也選手 現役引退および普及部コーチ就任のお知らせ FC東京 (2016年12月25日)
  36. ^ 第10回FIFAワールドユース(U−20)選手権大会U−20日本代表登録メンバーおよびスケジュールについて - ウェイバックマシン(2005年11月24日アーカイブ分) 日本サッカー協会 (1999年3月24日)
  37. ^ 第13回アジア大会 男子サッカー競技 メンバー - ウェイバックマシン(2005年4月10日アーカイブ分) 日本サッカー協会 (1998年11月24日)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]