コンテンツにスキップ

樺山資美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樺山資美

樺山 資美(かばやま すけよし、1852年嘉永5年3月[1]) - 1897年明治30年)2月16日[1])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

[編集]

薩摩国鹿児島郡鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市[2])出身[1]私学校に学ぶ[3]西南戦争に従軍した[1]。のち河野主一郎らとともに政治結社三州社を創立し[3]、同社長となり政治教育や殖産に尽くした[1]

1890年(明治23年)4月、鹿児島県会議員に選出された[1][2]1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では鹿児島県第1区から出馬し当選[1]弥生倶楽部に所属し衆議院議員を1期務めた[1]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、自由党)では、官憲からの選挙干渉を受けて次点で落選した[2][4]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 衆議院、参議院 編 1962, 141頁.
  2. ^ a b c 『郷土人系 上』63-64頁。
  3. ^ a b 篠田 1891, 357頁.
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』62頁。

参考文献

[編集]