樺山資美
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樺山 資美(かばやま すけよし、1852年(嘉永5年3月[1]) - 1897年(明治30年)2月16日[1])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]薩摩国鹿児島郡鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市[2])出身[1]。私学校に学ぶ[3]。西南戦争に従軍した[1]。のち河野主一郎らとともに政治結社三州社を創立し[3]、同社長となり政治教育や殖産に尽くした[1]。
1890年(明治23年)4月、鹿児島県会議員に選出された[1][2]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では鹿児島県第1区から出馬し当選[1]。弥生倶楽部に所属し衆議院議員を1期務めた[1]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、自由党)では、官憲からの選挙干渉を受けて次点で落選した[2][4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。