深海村 (樺太)
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ふかみむら 深海村 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 豊原支庁 |
郡 | 大泊郡 |
面積 | 104.10[1] km2. |
総人口 |
2,017人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 | 大泊郡大泊町、長浜村、富内村 |
深海村役場 | |
所在地 | 樺太庁大泊郡深海村女麗 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
深海村(ふかみむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目、現状に関してはプリゴロドノエの項目を参照。
概要
[編集]- 亜庭湾に面していた。
- 1905年7月、樺太作戦で最初に日本軍が上陸したのは村内の女麗(めれい)で、後に上陸記念の碑が建てられた。
- 1934年12月、北海道猿払村まで海底電話線ケーブルが敷設された際、樺太側の入り口が深海村の女麗であった。電話線は戦後まもなくソ連軍により切断された。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により行政区画として発足。大泊郡に所属し、大泊支庁が管轄。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により二級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が豊原支庁に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日深海村廃止。
村内の地名
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地域
[編集]教育
[編集]以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
- 樺太公立雄吠泊国民学校
- 樺太公立深海国民学校
- 樺太公立鳥居沢国民学校
脚注
[編集]- ^ 市町村別日本国勢総攬 下卷(帝国公民教育教会 1938年)に「面積 六・七五方里」とあり。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1680