渥美電鉄デハ100形電車
渥美電鉄デハ100形電車 名鉄モ1形電車 名鉄デワ30形電動貨車 豊橋鉄道デワ10形電動貨車 | |
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デハ100形100 | |
基本情報 | |
運用者 | 渥美電鉄・名古屋鉄道・豊橋鉄道 |
製造所 | 日本車両製造 |
製造年 | 1923年(大正12年) |
製造数 | 3両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
荷重 | 5.0 t |
車両重量 | 11.0 t |
全長 | 9,474 mm |
全幅 | 2,636 mm |
全高 | 3,728 mm |
車体 | 木造 |
台車 | ブリル 21-E |
主電動機 | TDK 13D5 |
主電動機出力 | 65 PS |
搭載数 | 2基 / 両 |
歯車比 | 68 : 18 |
制御装置 | 直接制御 TDK DB-3 |
制動装置 | 手ブレーキ |
備考 | 1944年の諸元表より(デワ30形)[1]。 |
渥美電鉄デハ100形電車(あつみでんきてつどうデハ100がたでんしゃ)は、渥美電鉄がその開業に際して新製した木造二軸単車。後年渥美電鉄は名古屋鉄道(名鉄)へ吸収合併され、後に本形式は電動貨車に改造されてデワ30形と改称された。その後デワ10形へ再度改称・改番されている。
概要
[編集]車体は木造。2軸車で集電装置は当初はトロリーポールであったが、1950年代にパンタグラフ化されている。
ブレーキは廃車されるまで手ブレーキであった。これは豊橋鉄道に移籍後、貨車入換専用であったため、本線に出る必要がなかったからである。
沿革
[編集]渥美電鉄の開業に合わせて1923年(大正12年)に日本車輌製造で製造された。小型車(定員46人)のため乗客増加に対応できなくなり、後に三河田原駅 - 黒川原駅間[注 1] で主に運用される。
1940年(昭和15年)、渥美電鉄が名古屋鉄道と合併し渥美線となると、1941年(昭和16年)の形式称号改訂によりデハ100形はモ1形(1 - 3)に改称された。
1943年(昭和18年)に戦時輸送の増加に備えて電動貨車に改造され、形式も電動貨車デワ30形(31 - 33)に変更される。しかし小型車のため増加する輸送量を捌ききれず、柳生橋駅構内で貨車の入換に従事することになる。
渥美線は1954年(昭和29年)に名古屋鉄道から豊橋鉄道に譲渡され、デワ30形も豊橋鉄道に移籍され、主に花田貨物駅、車両区の車両の入換作業をして働いた。 1966年(昭和41年)に2両(31, 32)が廃車となり、残った33は1973年(昭和48年)にデワ10形(11)に改番される。貨物取り扱いが廃止された1984年(昭和59年)以降も車両区での入換作業に使われた。車両が木造で傷みが激しく、改修工事を繰り返しながら大切に使われ、その外見ゆえに人気者だったと言われている。
1997年(平成9年)、渥美線の架線電圧1500V昇圧により廃車となる。
保存
[編集]1998年(平成10年)に渥美郡田原町(現・田原市)へ寄贈され、芦ヶ池農業公園(サンテパルクたはら)でデキ210形211とともに静態保存されている[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1926年に開業した渥美線の末端区間。1944年休止。1954年廃止。
出典
[編集]- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年、167頁。ISBN 978-4865988475。
- ^ “廃車2両を無償譲渡 豊橋鉄道 田原町の文化遺産に”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1998年5月12日)
外部リンク
[編集]- 101号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)電動客車時代