田中優大
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山形県鶴岡市 |
生年月日 | 1999年9月14日(25歳) |
身長 体重 |
183 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2017年 育成選手ドラフト4位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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田中 優大(たなか ゆうだい、1999年9月14日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]羽黒高等学校に入学当初は外野手であったが、身体能力を買われ2年春から投手に転向した[1]。3年春から背番号1を背負い東北大会ベスト8、夏は山形県大会ベスト8。甲子園への出場経験はなし。
2017年に読売ジャイアンツの入団テストに合格し、10月26日に行われたドラフト会議において育成ドラフト4位で指名され、支度金200万円、年俸250万円(金額は推定)で入団した[2]。
巨人時代
[編集]2018年は二軍公式戦(イースタン・リーグ)1試合に登板[3]。また三軍戦は25試合に登板して1勝1敗1セーブ、防御率2.60という成績だった[4]。
2019年はイースタン・リーグ7試合に登板して勝ち負けなし、防御率1.00という成績だった[5]。また三軍戦は29試合に登板して0勝4敗2セーブ、防御率3.06という成績だった[6]。
2020年はイースタン・リーグで自己最多の12試合に登板し、0勝1敗、防御率5.79という成績だった[7]。また三軍戦は19試合に登板して1勝2敗1セーブ、防御率4.83という成績だった[8]。シーズン終了後の11月30日に育成選手の規約に基づき一旦自由契約公示されたが[9]、12月8日に育成選手として再契約した[7]。
2021年はイースタン・リーグ3試合に登板して勝ち負けなし、防御率6.00という成績だった[10]。また三軍戦は17試合に登板して1勝2敗1セーブ、防御率6.75という成績だった[11]。10月4日に再び戦力外通告を受けた[12]。
現役引退後
[編集]現役引退後は地元の山形県で祖父が営む塗装会社に勤務する傍ら、2022年の12球団合同トライアウト受験を目指していると報じられたが[13]、同年及び2023年の合同トライアウトには参加していない。
選手としての特徴・人物
[編集]右のサイドハンドから繰り出される最速150km/hの速球が特徴[1]。
グラブに出身地の地名である「温海」と刺しゅうがある。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 019(2018年 - 2021年)
脚注
[編集]- ^ a b “【巨人】150キロサイド右腕・田中優大はまだまだ成長中「将来は抑えに」”. スポーツ報知 (2019年11月16日). 2021年1月1日閲覧。
- ^ “巨人、育成4位田中優大と年俸250万円で合意”. 日刊スポーツ (2017年11月15日). 2021年11月6日閲覧。
- ^ “2018年 二軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “2018年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “2019年 二軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “2019年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b “巨人田中優大30万減「自分的には成長した部分も」”. 日刊スポーツ (2020年12月8日). 2021年1月1日閲覧。
- ^ “2020年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2020年度公示”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “2021年 二軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “2021年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “巨人が高卒3年目・松井ら5選手を戦力外”. スポーツニッポン (2021年10月4日). 2021年11月6日閲覧。
- ^ 小早川宗一郎 (2021年12月23日). “【さよならプロ野球】田中優大、迷走に後悔残る「自分貫き通すって難しい」”. 日刊スポーツ. 2022年3月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 田中優大 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)