相野原
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■相野原 | |
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日光御成街道の杉並木の名残 | |
北緯35度59分16.42秒 東経139度41分56.51秒 / 北緯35.9878944度 東経139.6990306度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 岩槻区 |
人口 | |
• 合計 | 155人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
339-0071[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
相野原(あいのはら)は、埼玉県さいたま市岩槻区の大字。郵便番号は339-0071[2]。
地理
[編集]さいたま市岩槻区北部の大宮台地(慈恩寺支台[4])に位置する。東岩槻駅から4 kmほど北に位置する。比較的小さい面積で、日光御成街道沿いに住宅や工場が見られるほかは、雑木林や農地となっている。
江戸から十里、岩槻から一里の地点に当たり、日光御成街道に県文化財の一里塚が存在していた[4][5][6]。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した埼玉郡岩槻領に属する相野原村であった[4]。相野原は相ノ原とも記される。
- はじめは岩槻藩領、1756年(宝暦6年)より幕府領となる[4]。
- 1770年(明和7年)より川越藩領となるが、1821年(文政4年)に再び幕府領となる[4]。
- 1832年(天保2年)より知行は旗本堀氏となる[4]。
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した南埼玉郡に属す。郡役所は岩槻町に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、慈恩寺、裏慈恩寺、表慈恩寺、古ヶ場、徳力、鹿室、上野、南辻、小溝、相野原の10箇村が合併し、慈恩寺村が成立し、慈恩寺村の大字相野原となる[4]。
- 1954年(昭和29年)
- 1966年(昭和41年) - 相野原の一部を蓮田町に編入する[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日 – 岩槻市がさいたま市と合併し、さいたま市岩槻区の大字となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
相野原 | 61世帯 | 155人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立慈恩寺小学校 | さいたま市立慈恩寺中学校 |
交通
[編集]= 鉄道
[編集]地内に鉄道路線は敷設されていない。東武野田線(東武アーバンパークライン)の東岩槻駅が4 kmほど南にある。
道路
[編集]施設
[編集]- 相野原浄水場
- 日枝神社
脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年10月5日). 2017年10月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』57頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』946頁。
- ^ “日光御成道(岩槻区本町〜岩槻区鹿室)”. さいたま市役所 (2015年3月27日). 2019年1月22日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1429頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。