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立見里歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たつみ りか
立見 里歌
プロフィール
生年月日 1965年11月14日
現年齢 59歳
出身地 日本の旗 日本東京都
血液型 A型
公称サイズ(2020年[1]時点)
身長 158 cm
スリーサイズ 82 - 58 - 84 cm
活動
デビュー 1985年
ジャンル アイドル歌謡曲
所属グループ おニャン子クラブ
事務所 株式会社ルーグ
主な楽曲 私は里歌ちゃんニャンギラス
アイドル: テンプレート - カテゴリ

立見 里歌(たつみ りか、1965年11月14日 - )は、日本のタレント[2]。女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』の元メンバーで、会員番号は15番[3]。株式会社ルーグ所属。

略歴

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オールナイターズからおニャン子クラブへ

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東京都多摩市出身。東海大学政治経済学部卒業。

東海大学1年生の時に、アイドルキャンパスコンテストにて優勝し、ミス東海大学となる[3]。これがきっかけで、フジテレビの『オールナイトフジ』のスタッフより声がかかりオールナイターズのオーディションを受ける。大学在学中に『オールナイトフジ』のオールナイターズとして活躍。「それでは、コマーシャル」と言うべきところがどうしても「コマシャール」になってしまったという逸話がある。見た目以上の体力と大食いを評価され、週に4日はロケをしていたと語っている[3]。以降「鋼鉄ジーグのような体」「わんこそば100杯食べた」などと度々ネタにされていた[4]。当時の中曽根内閣の深夜番組自粛の方針もあり、『オールナイトフジ』は1985年3月30日放送でいったん終了する。

その後フジテレビのプロデューサーから電話があり、話していると「とりあえずメイク室にいって」と言われ、そのまま白い水着を着せられておニャン子クラブのオーディションを受けさせられる[3]。1985年4月19日に『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)の『ザ・スカウト アイドルを探せ!』に出場し、歴代のおニャン子メンバーでも最高得点となる142点を獲得して合格[5][注釈 1]。おニャン子クラブの会員番号15番となる。立見は完全にオールナイターズ出身であったため、『ザ・スカウト~』に登場した途端、司会の鶴太郎に「何でお前がこのコーナーに出てるんだよ!」とツッコまれていた[6]。元祖おバカタレント[7]。おニャン子クラブでは樹原亜紀山本スーザン久美子と並ぶ三大色物キャラの一人とされ、樹原と共に色物路線を貫いた[8]

ニャンギラス結成

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おニャン子クラブの樹原亜紀名越美香白石麻子と共に、"おニャン子最強の飛び道具ユニット"と称される『ニャンギラス』のメンバー(メインボーカル)となり、1986年4月1日にワーナー・パイオニアから『私は里歌ちゃん』でデビュー。同曲はオリコン1位を獲得した。1980年代文化を語る時には欠かせないおニャン子史上最大のノベルティ・ソングであり、「耳障りの良い曲調は元一風堂見岳章による見事な職人仕事で、立見里歌の歌があまりにも下手[注釈 2]というワンギミックのみで押し切っている割には完成度が高い」という評価がある[9]。尚、同ユニットのディレクションはワーナーの中森明菜の制作チームが担当している[10]

その後も、1986年6月21日に発売されたシングル第2弾『自分でゆーのもなんですけれど』でオリコン1位を獲得。その勢いに乗って1987年3月18日発売の『そんなつもりじゃなかったのに』でソロデビューをしたが、この頃番組自体の勢いが落ちていたこともあり、おニャン子クラブの売り上げ記録ワースト1を記録した[注釈 3]。名目上はソロ曲だが、立見の歌があまりにも下手過ぎたため一人ではレコーディングができず、白石麻子らが別のスタジオで歌ったものを被せてどうにか形にしたと証言している[11]

おニャン子卒業以降

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1987年4月5日におニャン子クラブを卒業後、ポニーキャニオンに入社[3]。おニャン子の解散コンサートの際は既にポニーキャニオンの社員であった。名古屋支社に勤務し、後輩である工藤静香のイベントにも関わった事がある。1991年に結婚後退社。1児の母となる。その後、離婚。雑誌の編集に携わる傍らタレントとしても活動をしている。

2006年、『仁義換金』(テレビ東京)に国生さゆりの関係者として出演。ハワイのホテルにおいて国生が観ていたアダルト番組の料金が15万円を越す値段になり、スタッフが「誰だ!?こんなに使ったやつ」とメンバーを問い詰めたところ、国生と同室の福永恵規の二人が、それとなく立見のせいにしたというエピソードを語った。

2007年10月8日放映の『快感MAP』(テレビ朝日)において、ほっしゃん。のコーディネートのもとで横田睦美と再会するシーンに登場した。

2010年10月5日に放送された『超豪華!!スタア同窓会』(日本テレビ)に「おニャン子クラブ」同窓会に出演。

2017年に念願であった無添加コスメ「イポラニ」をプロデュースしている[3]

エピソード

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石橋貴明とのケンカ

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  • 後に、「漢字が読めない」、「歌が下手」などといったおバカ(お笑い)キャラが発覚したほか、「顔が大きい」ととんねるず石橋貴明によく指摘されていた。1986年6月3日、「火曜ワイドスペシャル」枠にて放送された番組、『おニャン子のアブない夜だよ 生放送』(フジテレビ)の中でVTR出演の石橋が、当時在籍していたおニャン子クラブのメンバーをパネル写真を基に紹介するコーナーで、立見と内海和子のパネルを二つ折りになるほど、拳で殴り紹介した。翌日の『夕やけニャンニャン』のコーナー「新エバッてんじゃねえよ おいにいの逆襲バージョン」本番中に立見が昨日の放送内容に対し石橋に怒りを露にした。また石橋も感情的に応対してとんねるずは番組途中で出演をボイコットした事件が起きた。その結果、その頃には『夕やけニャンニャン』に週1回の出演となっていたとんねるずが出演する曜日は立見が欠席するようになった。このケンカには親友の内海が立見に同調し、とんねるずと顔をあわせないようにしていた。
  • 2006年12月発売の『EX35plus』(光文社)で、1980年代のヒロインの特集が組まれ、立見のインタビュー記事が掲載。「本番中に石橋さんにマジ切れしちゃったこともありました」と回顧。解散後に就職したレコード会社のポニーキャニオンでは、石橋の宣伝担当をしたこともあった。
  • また、『とんねるずのハンマープライス』(関西テレビ)に立見が(おニャン子クラブとして)ゲスト出演した際、立見の「私の事は覚えてますか?」との質問に対し、石橋は「貴方の事は良く知っています。」と答えた。
  • 2014年7月13日に放送された『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)の『芸能人かえうた王決定戦』に元おニャン子クラブとして出演し、替え歌内で「噂された立見・石橋(貴明)不仲説、あれまじ本当」と暴露した。

音楽

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シングル

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メディア出演

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テレビ

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ラジオ

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CM

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関連項目

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  • 秋元康
  • 辰巳リカ - 女子プロレスラー。彼女のリングネームは、立見の名前に由来する。本人も公認済みである[13]

脚注

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注釈

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  1. ^ 次点は河合その子の140点。
  2. ^ この歌のラストの「里歌よ〜♪」の部分は毎回歌う度に音程が違っている。また、冒頭の「ねぇみんな〜 悩まないで…♪」との立見のソロ部分で既に音程が合っておらず、歌番組司会者から「…悩んじゃうよなー」とのジョークコメントもあった。
  3. ^ このシングルのB面「立見の青春」では、コネでおニャン子クラブに入ったことが明らかにされている。また、当初は「言語道断」というタイトルで12inch盤での発売が告知されていた。

出典

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  1. ^ 立見里歌プロフィール(PDF)
  2. ^ 立見里歌”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2023年11月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f おニャン子クラブ会員番号15番のスゴい人!”. 日刊スゴい人! (2017年10月17日). 2020年12月11日閲覧。
  4. ^ 「おニャン子新聞 衝撃スクープ なかじぃ、たつみ、怒りの激白 これがおニャン子の奇人変人たちだ!」『DUNK』1986年1月号、集英社、118頁。 
  5. ^ 「おニャン子ザ・ギネス 合格点数No.1! えっ? ホントに立見がNo.1?」『BOMB』1987年10月号、学習研究社、114頁。 
  6. ^ 「完全保存版!おニャン子たちの合格シーン!!『ザ・スカウトアイドルをさがせ』誌上再放送」『アイドル発掘王クライマックスVOL.3』竹書房、1998年8月8日、27頁。ISBN 4-8124-0401-0。C9476。 
  7. ^ 「1985年組アイドル大名鑑」『週刊プレイボーイ』2015年1月26日号、集英社、2015年1月5日、113頁。 
  8. ^ 別冊宝島907 音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』宝島社、2003年11月28日、31頁。ISBN 4-7966-3691-9。C9473。 
  9. ^ 「俺たちの青春サウンドトラックよ永遠なれ!! おニャン子音盤熱血レビュー」『別冊宝島907 音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』宝島社、2003年11月28日、69頁。ISBN 4-7966-3691-9。C9473。 
  10. ^ "「『紅白』出場せず」中森明菜の「おニャン子クラブ」嫌い伝説 スタッフに「自分たちが恥ずかしくないの?」". Smart Flash. 光文社. 22 November 2022. 2023年11月4日閲覧
  11. ^ 稲増龍夫「TVメディアが作ったアイドルシステム」『増補 アイドル工学』筑摩書房ちくま文庫〉、1993年4月22日、205頁。ISBN 4-480-02732-7。C0136。 
  12. ^ 元おニャン子・立見里歌が登場! とんねるず・石橋貴明との噂の真相に迫る! 「ママこの人つれて来た!」【BS12トゥエルビ】”. 昭和40年男 (2019年12月5日). 2020年12月11日閲覧。
  13. ^ https://twitter.com/riiikaaa15/status/949938406544388096

外部リンク

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