第1回ジャパンボウル
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開催日 | 1976年1月18日 | ||||||||||||||||||
スタジアム | 国立競技場 | ||||||||||||||||||
開催地 | 東京都 | ||||||||||||||||||
入場者数 | 68,000 |
第1回ジャパンボウルは1976年1月18日、国立競技場で行われたカレッジフットボールのオールスター東西対抗戦。NCAA1部の133校から選ばれた52人が参加した。メンバーの半数は、オールアメリカンに選ばれていた[1]。
午後1時から行われた試合には、前年の日本ラグビーフットボール選手権大会を上回る68,000人の観衆が集まり、東京オリンピック以来の大観衆であった[2]。オクラホマ大学のメンバーを中心とした西軍が27-18で勝利した[3]。それまでの日本国内のアメリカンフットボールの試合での観客動員数はダラス・カウボーイズのボブ・ヘイズが来日した時の38,000人、日本人同士の試合では1974年1月のライスボウルの3万人であった[4]。
試合開催前の話題
[編集]アメリカンフットボールは、本来はコンビネーションのよさが要求されるが、オールスターが即席チームであることから、西軍ヘッドコーチのマイク・ホワイトカリフォルニア大学ヘッドコーチは、試合の最大の見所は個人技だと語った。また東軍ヘッドコーチのルー・ホルツノースカロライナ大学ヘッドコーチは、出場する全員がNFLドラフトで上位指名を受けると語った。選手では、全米ナンバーワンとなったオクラホマ大学のリー・ロイ・セルモン、デューイ・セルモンのセルモン兄弟、ジョー・ワシントン、走る重戦車のニックネームを持つカリフォルニア大学のチャック・マンシー、ノースカロライナ州立大学の双子WRドン・バッキー、QBデイブ・バッキー(Dave Buckey)が注目を集めた[6]。
ハイズマン賞を受賞したオハイオ州立大学のタックル、アーチー・グリフィンは故障のため来日しなかった。最も大柄な選手はアイオワ州立大学のボブ・ボスで197cm、115 kg、最も小柄な選手はテンプル大学のキッカー、ドン・ビターリック(Don Bitterlich)で174cm、81kgであった[7]。
来日した選手は1月13日に神奈川県のキャンプ座間で初練習を行った[8]。
ハワイの高校時代にフットボール選手だった、大相撲の高見山大五郎が、本場所8日目を休場して試合観戦に訪れるのではないかという噂が立った。高見山本人は、見に行きたいがクビになると取材に答えた。高見山の師匠の高砂親方(元横綱前田山は本場所を休場して、日米野球を見に行き、引退勧告をされた。)[1]。
試合経過
[編集]西軍は最初の攻撃で、ニューメキシコ大学のQBスティーブ・マイヤーからカリフォルニア大学のWRスティーブ・リベラへの45ヤードのロングパスなどで敵陣12ヤードまで迫り、100ヤードを9秒7で走るチャック・マンシーが[10] 右のオフタックルを突いて先制TDをあげた。さらにミズーリ大学のヘンリー・マーシャルがマンシーとのリバースプレーでTDをあげた[3]。
第2Qにはワシントンとマーシャルがリバースし、ボールを受けたUSCのアンソニー・デービスがマンシーへ50ヤードのロングパスを通した[3]。
13-0とリードされた東軍は、イリノイ大学のロニー・ペリンが2ヤードを走ってTDを返した[10]。
第4Qジョー・ワシントンは、豪快な突進で大きく前進した[10]。
コロラド州立大学のキッカー、クラーク・ケンブル(Clark Kemble)は50ヤードを軽く蹴った[3]。
東軍は反撃して、2点差まで迫ったが、試合終了直前に、メイヤーからマーシャルへ40ヤードのTDパスが成功し、西軍が27-18で勝利した[3]。
なお、この試合には6人の日本人選手、日本大学の吉田・桐野、明治大学の井口、横越、日本体育大学の槙野、法政大学の金光が数プレーずつ出場した[3]。
テレビ放送
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 巨漢ぞろい、軽快な動き米選手が初練習 ジャパンボウル 朝日新聞 1976年1月14日朝刊 17ページ
- ^ 五輪以来の大観衆 ジャパンボウル 朝日新聞1976年1月19日朝刊18ページ
- ^ a b c d e f 第1回ジャパンボウル 本場の迫力と妙技 6万8000人が酔う 読売新聞 1976年1月19日朝刊16ページ
- ^ 五輪以来の大観衆 朝日新聞 1976年1月19日東京朝刊18ページ
- ^ 一月、東京で全米大学フットボール オールスター東西対抗 朝日新聞 1975年5月20日
- ^ 見せます豪快な肉弾戦 きょうジャパンボウル ずらり第一級 朝日新聞1976年1月18日朝刊14ページ
- ^ "本場の迫力" 平均体重100kg 読売新聞 1976年1月16日16ページ
- ^ 巨漢ぞろい、軽快な動き ジャパンボウル 米選手が初練習 朝日新聞 1976年1月14日東京朝刊17ページ
- ^ アメリカンフットボール 年末年始ずらり好試合 読売新聞 1976年12月20日14ページ
- ^ a b c 六万八千人熱戦に酔う 西軍が逃げ切る 火花散らす大型ライン 随所に真剣勝負みせる ジャパンボウル 朝日新聞1976年1月19日朝刊18ページ
- ^ 試合の流れ分からぬ 読売新聞 1976年1月25日20ページ