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羽後山田駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羽後山田駅
うごやまだ
UGOYAMADA
湯沢 (2.2 km)
(2.2 km) 貝沢
地図
所在地 秋田県湯沢市深堀字高屋敷
北緯39度9分53秒 東経140度27分54.1秒 / 北緯39.16472度 東経140.465028度 / 39.16472; 140.465028座標: 北緯39度9分53秒 東経140度27分54.1秒 / 北緯39.16472度 東経140.465028度 / 39.16472; 140.465028
所属事業者 羽後交通
所属路線 雄勝線
キロ程 2.2 km(湯沢起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1928年昭和3年)8月10日
廃止年月日 1973年(昭和48年)4月1日
備考 雄勝線廃線に伴い廃駅
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羽後山田駅(うごやまだえき)は、秋田県湯沢市深堀字高屋敷(開業時は旧・雄勝郡山田村深堀)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の廃駅)である。雄勝線の廃線に伴い1973年昭和48年)4月1日に廃駅となった。

歴史

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駅構造

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廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。晩年に交換設備が廃止になるまでは島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[6]。外側(西側)が下り線(梺方面)、駅舎側(東側)が上り線(湯沢方面)となっていた[6]。そのほか側線として、上り線から東に分岐し駅舎との間を通過し、駅舎東側の貨物積卸場への貨物線を1線有していた[6]。閉塞取扱廃止後の側線の状況は不明である。

無人駅となっていたが、職員配置駅時代の駅舎が残っていた[4]。駅舎は構内の北東側に位置し、ホーム北側のスロープとを結ぶ構内踏切で連絡した[6]

閉塞取扱廃止前までの列車交換の通標は、湯沢駅 - 当駅間は「○」、当駅 - 西馬音内駅間は「□」であった[6]

貨物側線からの積載品は米穀であったが、戦時中までは藤田組松岡鉱山の鉱石輸送も行われていた[5]。その関係で構内は広く取られていた[5]。貨物積卸場には農業倉庫も設置されていた[8]

1947年(昭和22年)2月に起こった変電機械の故障による送電停止の際は、横荘線から蒸気機関車を回送の上使用されたが、車輌基地のある西馬音内駅は地盤が洪積層で水涸れという現象も起きていた場所にあり、給水の便も悪かったために、当駅が給水の基地となった[6]。ただし電気鉄道である故に給水設備は設置されておらず、消防団から手牽きのガソリンポンプを借用したという[6]

雄物川橋梁

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湯沢駅 - 当駅間には雄物川が流れており、「雄物川橋梁」[9]が架けられていた。この鉄橋は地盤の関係で多くの橋梁に用いられる杭打工法ではなくオープンケーソン工法を用いられていた[9]。また、建設費節約のために中古のデッキガーダーを使用していた[9]。さらに工期の関係で補強を行わず「仮設」として届出を行っており[9]、最終的には「仮設」の状況を「設計変更」として変更せずに完成とした[9]

駅周辺

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当駅は深堀地区の北東側に位置し、南西側に集落がある。東側には雄物川が流れており、対岸に湯沢市の市街地が広がる。周囲は穀倉地帯であった[3]

駅跡

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路線廃止後、駅跡は1980年(昭和55年)4月1日に開園した社会福祉法人湯沢保育会「深堀保育園」の園庭になっている。1999年平成11年)時点では保育園の前後に橋台が残存していた[8]2007年(平成19年)5月時点[3][5]2010年(平成22年)時点でも同様で[10]、この橋台はコンクリート製で2線分のものであった[10]

また、雄物川橋梁跡から当駅跡附近の線路跡は区画整理による水田となっており、1995年(平成7年)時点で線路跡をたどることはできなくなっていた[11]。1999年(平成11年)時点[8]、2007年(平成19年)5月時点[3][5]2010年(平成22年)時点でも同様であった[10]

そのほか雄物川橋梁は、1995年(平成7年)時点では湯沢方、当駅方双方の橋台が残存していた[11]1999年(平成11年)時点でも同様で、湯沢方は高さ約2 m、当駅方は約5 m近い立派なものであった[8]。また堤防上の道路を挟んで小さな橋台と暗渠も残存していた[8]。2007年(平成19年)5月時点では大きかった当駅方の橋台は撤去され、湯沢方のみ残存していた[3][5]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[10]

隣の駅

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羽後交通
雄勝線
湯沢駅 - 羽後山田駅 - 貝沢駅

脚注

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  1. ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介新潮社、2008年6月発行)43ページより。
  2. ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)222ページより。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 書籍『新 消えた轍 3 東北』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行)30,32-33,36ページより。
  4. ^ a b c d 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)165ページより。
  5. ^ a b c d e f g h 『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』106-109ページより。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 書籍『RM LIBRARY 52 羽後交通雄勝線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2003年11月発行)4,14-15,19-21,23,27,31,34,38,46ページより。
  7. ^ a b c d e 『RM LIBRARY 52』17-18ページより。
  8. ^ a b c d e 書籍『とうほく廃線紀行』(無明舎出版、1999年12月発行)64ページより。
  9. ^ a b c d e 書籍『RM LIBRARY 52 羽後交通雄勝線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2003年11月発行)8-10ページより。
  10. ^ a b c d 『新 鉄道廃線跡を歩く1』199ページより。
  11. ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩く』(JTBパブリッシング、1995年11月発行)36-37ページより。

関連項目

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外部リンク

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