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老舎

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老舎
老舎(1934年の撮影)
プロフィール
出生: 1899年2月3日
死去: 1966年8月24日
出身地: 清の旗 直隷省順天府
(現:北京市
職業: 作家
各種表記
繁体字 老舍
簡体字 老舍
拼音 Lǎoshě
和名表記: ろうしゃ
発音転記: ラオシャー
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老舎(ろう しゃ)は、中華人民共和国小説家劇作家本名舒慶春(じょ けいしゅん[1])、舎予[2]。老舎とはペンネームで、苗字の「舒」の字の偏をとったものとされる[2]

北京出身。満洲正紅旗出身。北京の町と人々をこよなく愛し、「北京之花」「人民芸術家」「語言大師」と称された。文化大革命で犠牲となった代表的な著名人でもある。 代表作に小説駱駝祥子』『四世同堂』『正紅旗下』(遺作)、戯曲『龍鬚溝』『茶館』。

来歴

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1899年、北京の満洲旗人の家で[2]5人兄弟の末子として生まれる。1900年義和団の乱紫禁城近衛兵だった父が死亡し、母が他家の雑用、洗濯女などをして貧しい少年時代をすごす[2]

慈善家の支援を受けて私塾に入学したのをきっかけに、新制小学校、北京師範学校を卒業。1918年、19歳で小学校長赴任。その後北京北郊勧学員などを務める。

1922年洗礼を受け、キリスト教に入信。

1924年、英語学習のため聴講していた燕京大学のイギリス人教授の紹介で渡英し、ロンドン大学東方学院(the School of Oriental Studies、東洋アフリカ研究学院(SOAS)の前身)で中国語講師を務める[2]。ホームシックをきっかけに創作活動を始め[2]1926年、処女長編小説『張さんの哲学』(老张的哲学)、1927年『趙子日』、1929年『馬さん父子』を立て続けに執筆し中国の雑誌「小説月報」に掲載される[2]1930年に帰国し、斉魯大学・山東大学で教鞭をとりつつ、作家活動を展開する。帰国後、老舎は1931年に胡絜青と結婚し、同年、長編児童小説『小坡の誕生日』を発表し、さらに『猫城記』『離婚』『牛天賜伝』『趕集』『桜海集』『蛤藻集』を発表する[2]

1936年、作家活動に専心するため山東大学を辞職[2]、代表作『駱駝祥子』を発表[2]1937年盧溝橋事件以後、抗日運動に身を投じ、北京から武漢へ単身赴き、中華全国文芸界団結抗敵協会の理事となった[2]。翌年、武漢で編集者・作家の趙清閣とねんごろになったが1943年に夫人が3人の子女を連れて重慶に来たため、表向きは関係を終わらせざるを得なくなった。1944年、抗日戦争を題材にした大河小説『四世同堂』を執筆開始。戦後、1946年に、アメリカ国務省の招きを受けて渡米し[2]、『四世同堂』第三部を脱稿。趙清閣とシンガポールへ駆け落ちを提案したが、実行には至らず、周恩来の呼びかけに応じて1949年12月帰国[2]。北京市文学芸術界連合会などで指導的立場に立った[2]

1950年、『龍鬚溝』を発表。翌年、北京人民芸術劇院(旧)で焦菊隠の演出により上演される。1957年、『茶館』を発表。翌年、北京人民芸術劇院で焦菊隠・夏淳の演出により上演される。

1966年文化大革命が起こり、同年8月23日、老舎は紅衛兵によって「現行反革命分子」「資産階級の権威」「老反共主義者」「封建貴族の子孫」として集団リンチを受け[2]、翌日行方不明となる[2]。8月25日、北京徳勝門外のzh:太平湖 (新街口)のほとりで老舎の遺体が発見された[2]。侮辱に耐えかね抗議の自殺をしたと推定されている[3]。中国政府は老舎の死を公開しなかったが、井上靖水上勉開高健有吉佐和子城山三郎といった日本人作家は老舎の死を悼んだ[3]

青島市にある老舎像

1978年鄧小平によって名誉回復[3]

1979年、未完の自伝的小説『正紅旗下』が発表される。『茶館』が北京人民芸術劇院により再演される(再演指導は夏淳)。これ以後、2015年の今日まで繰り返し上演され、海外公演も行われ、曹禺『雷雨』とともに、中国話劇最高の作品と賞される。

1997年、老舎の旧宅が修理され老舎記念館が創立され[2]、1999年の老舎生誕百周年に合わせて一般公開された[2][3]

「ノーベル文学賞候補」との主張

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かつては「1968年(もしくは1966年)にノーベル文学賞候補となるが、本人が死去していたため受賞できなかった」とする主張が存在していたが[4]、ノーベル文学賞選考委員であるヨーラン・マルムクヴィストはそのうわさを否定していた[5]。ノーベル賞の選考経過やそれに関する資料は50年間の守秘義務がある。2017年、ノーベル財団はウェブサイトで1966年度ノーベル文学賞の候補者リストを公表したが、老舎の名はなかった[6]。1967年度の候補者リストにも老舍の名は見えない[7]。2019年1月に1968年の選考資料が公開され、最終候補に老舎が含まれていなかった(受賞した川端康成のほか、アンドレ・マルローW・H・オーデンの2人)ことが明らかになり[8]、その後スウェーデンアカデミーが公表した1968年度の候補者リスト(78人)にも老舎は含まれておらず[9]、従来主張されていた年代には候補者となっていなかったことが確定した(ただし、朝鮮半島出身の李光洙が死去20年後に推薦されていた事例がある[10])。

日本語訳

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  • 「大悲寺外」猪俣庄八訳『支那現代文学叢刊』第2輯 伊藤書店, 1939 
  • 『小坡の誕生日』興亜書局編輯部訳 興亜書局, 1940
  • 「ちやお・つう・ゆえ」奥野信太郎訳『現代世界文学叢書』中央公論社 1943 のち筑摩書房 
  • 駱駝祥子竹中伸訳 新潮社、1943 のち文庫 
    • 『駱駝のシャンヅ』飯塚朗訳 世界名作全集 平凡社、1960 のち角川文庫 
    • 「駱駝祥子」市川宏,杉本達夫訳『世界文学全集 カラー版 第35巻 (魯迅.老舎)』河出書房新社 1969
    • 『駱駝祥子』(ロートシアンツ)立間祥介訳『世界文学全集』集英社、1970 のち岩波文庫 
    • 『駱駝祥子』(ルオトゥオシヤンズ) 中山高志訳 白帝社, 1991
  • 『四世同堂』鈴木択郎等訳 月曜書房 1951-52 のち角川文庫  
  • 『離婚』竹中伸訳 山根書店, 1952
    • 「離婚」伊藤敬一訳 『中国現代文学選集 第6 (老舎・曹禺集)』平凡社, 1962 
  • 『牛天賜物語』竹中伸訳 筑摩書房, 1953
  • 『張さんの哲学』竹中伸訳 筑摩書房, 1953
    • 『張さんの哲学 近代中国庶民達のフィロソフィー』呉綿季,石川正人共訳 武田書店, 2002
  • 『東海巴山集 小説』千田九一訳 岩波新書 1953
  • 『龍鬚溝』中沢信三訳 未来社, 1953
  • 『ろん・しゆい・ごう(龍鬚溝) 戯曲』黎波訳 創元社, 1953
  • 『春華秋実』黎波訳 弘道館 1954
  • 『老舎作品集』岡本隆三訳 青木書店 1955
  • 『文章入門』趙樹理,胡万春共著 駿台社編集部訳 駿台社 1960
  • 『猫城記』(マオチョンチ)(1980 サンリオSF文庫 稲葉昭二訳)
  • 『まほうの船』君島久子訳 ほるぷ出版 1981
  • 老舎小説全集』(全10巻)(1981〜1982 学習研究社
第1巻 張さんの哲学・離婚 竹中伸訳 
第2巻 趙子曰・ドクター文 / 中山時子
第3巻 馬さん父子・小坡の誕生日 / 竹中伸,斎藤喜代子訳
第4巻 猫の国・牛天賜物語 / 日下恒夫,竹中伸訳
第5巻 駱駝祥子 (ロートシャンツ) 満洲旗人物語 竹中伸訳 
第6巻 老舎自選短篇小説選 / 竹中伸訳
第7巻 火葬・私の一生 / 平松圭子,日下恒夫訳
第8巻 四世同堂(上) / 蘆田孝昭
第9巻 四世同堂(中) / 竹中伸,蘆田孝昭訳
第10巻 四世同堂(下) / 日下恒夫訳
  • 『戯曲老舎珠玉』(1982 大修館書店、『龍鬚溝』『茶館』『西望長安』収録 黎波訳)
  • 『老舎のロマン 近代中国文豪編』石田達系雄訳 文芸タイムス社 1995
  • 『老舎幽黙詩文集』中山時子監修 斉霞監訳 老舎を読む会訳 叢文社, 1999
  • 「黒李と白李」下出鉄男訳『中国現代文学珠玉選 小説 1』二玄社, 2000
  • 『私のこの生涯 老舎中短編小説集』関根謙,杉野元子,松倉梨恵訳 平凡社, 2024

参考文献

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  • 舒乙『北京の父老舎』中島晋訳、作品社 1988
  • 舒乙『文豪老舎の生涯 義和団運動に生まれ、文革に死す』林芳編訳、中公新書 1995
  • 柴垣芳太郎『老舎と日中戦争』東方書店 1995
  • 杉本達夫 『日中戦期老舎と文芸界統一戦線―大後方の政治の渦の中の非政治』 東方書店 2004
  • 吉田世志子 『老舎の文学 清朝末期に生まれ文化大革命で散った命の軌跡』好文出版 2014

脚注

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  1. ^ 老舍”. 中日辞典 第3版. 2022年10月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 李慶国「老舎の心の原風景 : 北京の中国近現代文学地図(1)」『アジア観光学年報』第1巻、追手門学院大学文学部アジア文化学科、2000年6月、103-109頁。 
  3. ^ a b c d 夏宇継「老舎と老舎研究」『国際経営論集』第20巻、神奈川大学経営学部、2000年11月、139-149頁。 
  4. ^ 文潔若「老舎とノーベル文学賞」『人民中国』2001年8月号。この記事ではノルウェーの中国研究者であるエリザベス・エイドの証言としている。
  5. ^ 马悦然曾谈老舍:英译《骆驼祥子》诋毁了小说本意”. 新华网 (2014年10月21日). 2016年2月2日閲覧。
  6. ^ Nomination Database - ノーベル賞ウェブサイト(英語。プルダウンで「Nober Prize in Litrature」を選択し、年号に「1966」を入力して「List」ボタンを押すと1966年の文学賞候補者が表示される)
  7. ^ 1967年ノーベル文学賞候補者リスト (PDF) - スウェーデンアカデミー(スウェーデン語)
  8. ^ “川端は「日本文学の代表」 68年ノーベル賞の資料開示”. 日本経済新聞共同通信. (2019年1月2日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3960435002012019000000/ 2019年1月3日閲覧。 
  9. ^ 1968年ノーベル文学賞候補者リスト (PDF) - スウェーデンアカデミー(スウェーデン語)
  10. ^ Kwang-Soo Lee - Nomination archive(ノーベル賞委員会、英語)2022年9月20日閲覧

外部リンク

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