西義之 (ドイツ文学者)
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人物情報 | |
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全名 |
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生誕 |
1922年(大正11年)5月20日 大日本帝国・台湾台中市 |
死没 |
2008年10月9日(86歳没) 日本・東京都中央区内の病院。 肺炎 |
居住 | 大日本帝国台湾台中市 → 日本・東京都 |
国籍 | 大日本帝国 → 日本 |
出身校 | 東京大学独文科 |
配偶者 | あり |
学問 | |
時代 | 昭和時代中期 - 平成時代中期 |
活動地域 | 日本・東京都 |
研究分野 | ドイツ文学 |
主な受賞歴 | 勲三等瑞宝章(1998年) |
西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京大学教養学部名誉教授。
生涯
[編集]日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。
ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典]
1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。このあり方は、東大教授の先輩に当たる竹山道雄を継承するものである。[要出典]
1990年代以降は、大東亜戦争肯定論の類に対して疑問を投げかけていた。
2008年10月9日、肺炎のため東京都中央区の病院で死去。86歳没[2]。死去は2009年1月23日に遺族から公表された。
著書
[編集]- 『現代ドイツの東と西 祖国をさまよう人々』(新潮社) 1962
- 『戦後の知識人 自殺・転向・戦争犯罪』(番町書房) 1967
- 『ヒットラーがそこへやってきた』(文藝春秋) 1971
- 『誰がファシストか 現代ファシズム学入門』(ごま書房、ゴマブックス) 1975
- 『キリスト教のわかる本』(廣済堂出版) 1975
- 『学校は何ができるか 教師の責任・親の責任』(サンケイ出版) 1977
- 『変節の知識人たち』(PHP研究所) 1979
- 『新・「菊と刀」の読み方 戦後日本と日本人の変容の歴史を再点検する』(PHP研究所) 1983
- 『ドイツ文学と芸術の旅』(三修社) 1984
- 『ドイツうまいものの旅』(三修社) 1985
- 『ドイツライン・バイエルン・ロマンティック街道案内』(三修社) 1986
- 『ドイツ人の生き方死に方 ミュンヘンを舞台に』(教育社) 1987
- 『繁栄西ドイツが落ちた罠 日本は本当に大丈夫か』(光文社、カッパ・ビジネス) 1988
- 『定年教授の食卓』(春秋社 1993年)
- 『天才たちの死に学ぶ ツヴァイク、フロイト、モーツァルト、ゲーテの死の瞬間まで』(文藝春秋) 1994
- 『「武士道」幻想 新渡戸稲造論』(下田出版) 2004
翻訳
[編集]- 『メリー・スチュアート』上・下(ツヴァイク、高橋禎二共訳、新潮文庫)1953、復刊 1994
- 『マゼランの世界一周』(ツヴァイク、筑摩書房) 1956
- 『イレーネ夫人の秘密』(ツヴァイク、角川文庫) 1957
- 『ヒマラヤを六度こえて』(ハンス・コップ、大日本雄弁会講談社) 1957
- 『ナルチスとゴルトムント』上・下(ヘルマン・ヘッセ(岩波文庫) 1959、復刊 1977 ほか
- 『車輪の下』(ヘッセ、白水社) 1963
- 『シルクロード』(スウェン・ヘディン、白水社) 1965、新版 1980 ほか、のち中公文庫 2003
- 『蒙古と青海』(ピョートル・コズロフ、白水社) 1967、新版 2004 ほか
- 『キリストはなぜ殺されたか』(ジョエル・カーマイケル、読売新聞社) 1972
- 『ヒトラーが町にやってきた ナチス革命に捲込まれた市民の体験』(ウィリアム・シェリダン・アレン、番町書房) 1973
- 『ヒトラー自身のヒトラー』(ヴェルナー・マーザー編、読売新聞社) 1974
- 『わが20世紀』(ルードウィヒ・マルクーゼ、ダイヤモンド社) 1975
- 『アインシュタイン・ボルン往復書簡集』(井上修一, 横谷文孝共訳、三修社) 1976
- 『ヒトラー・ある息子の父親』(ウェルナー・マーザー、TBSブリタニカ) 1978
- 『ニュルンベルク裁判』(ウェルナー・マーザー、TBSブリタニカ) 1979
- 『シングルズ 脱結婚時代の生き方』(ヘルマン・シュライバー、TBSブリタニカ) 1980
- 『法律家の見たイエスの裁判』(W・フリッケ、山本書店) 1990
脚注
[編集]参考
[編集]- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク)
- 『駒場の50年』
- 「辻ひかる教授,西義之教授退官記念号」『外国語科研究紀要』(1983年)