谷本正憲
谷本 正憲 たにもと まさのり | |
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生年月日 | 1945年4月16日(79歳) |
出生地 | 日本 兵庫県西脇市 |
出身校 | 京都大学法学部卒業 |
前職 |
国家公務員(自治省) 石川県副知事 石川県知事 |
現職 | 石川県公立大学法人理事長 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
法学士 旭日大綬章 石川県名誉県民[1] |
配偶者 | あり |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1994年3月29日 - 2022年3月27日 |
谷本 正憲(たにもと まさのり、1945年4月16日[2] - )は、日本の自治省官僚、政治家。石川県公立大学法人理事長[3]。
石川県知事(公選第13 - 19代)。全国知事会副会長(東海北陸ブロック)などを歴任。
来歴
[編集]兵庫県西脇市生まれ[4]。兵庫県立西脇高等学校、京都大学法学部卒業。1968年4月、自治省(現総務省)に入省[2]。同期に早川忠孝(元衆議院議員)、西川一誠(元福井県知事)、井戸敏三(元兵庫県知事)らがいる。宮崎市助役、茨城県総務部長、旧自治省公務員第二課長、交付税課長、公営企業第一課長を経て1991年、石川県庁に出向し、中西陽一の下で副知事に就任する[5]。
1994年、中西が任期中に死去したため新生党・公明党・民社党・日本新党・日本社会党の非自民5党推薦で石川県知事選挙に出馬[5]。投開票日、 自由民主党幹事長を務めていた森喜朗が推す元農林水産事務次官の石川弘を破り、初当選を果たした。なお新生党には、石川県における森のライバルである奥田敬和が所属しており、中選挙区制下の旧石川1区で繰り広げられていた森奥戦争の構図が県知事選でも見られた。以後、7期連続で石川県知事に当選する。
1998年の知事選では自由民主党が独自候補の擁立を断念し、自民・民主党・民政党・自由党・公明・社会民主党・新進石川7党推薦で再選。3期目以降も日本共産党を除く主要政党の推薦や支持を得て、再選を続けている。2006年・2010年の石川県知事選挙では、民主党が党規により、党本部による4期目以降の候補者への推薦を自粛していたため、民主党石川県連が独自に谷本への支持を表明した。
前述の通り、当初は非自民の枠組みで石川県知事に当選したが、その後は自民党への傾斜を強めており、2012年の第46回衆議院議員総選挙以降は石川1区で馳浩を、石川2区では佐々木紀を、また2013年の第23回参議院議員通常選挙では石川県選挙区で山田修路への支持をそれぞれ表明した。
2014年の石川県知事選挙にて6期目の当選を果たした[6]。
2018年の石川県知事選挙では、47都道府県の現職で最多となる7選を果たした[7][8][9]。
2021年11月17日、記者会見で2022年3月に任期満了を迎える次期県知事選挙に立候補せず、今期限りで勇退する意向を表明した[5][10][11]。これにより、戦前・戦中生まれの都道府県知事は大分県の広瀬勝貞(1942年6月生まれ)と奈良県の荒井正吾(1945年1月生まれ)の2人を残すのみとなり、また1990年代および20世紀に当選した現職知事は谷本を最後に姿を消した。
退任後の2022年4月1日、石川県公立大学法人理事長に就任。
人物
[編集]- 血液型はO型である[2]。
- 2014年1月6日の記者会見中に卒倒し、搬送先の病院でインフルエンザと診断された[13]。
- 副知事時代、当時の知事である中西が議場で倒れたこともあり、「一に体力、二に体力」という信条のもと健康に気を使い、早朝に金沢市内を散策することを習慣としてきた[5]。
- 中西とは現在の総務省の出身であること(中西は内務省、谷本は自治省)、副知事から知事に当選したこと、石川県でなく関西の出身で京都大学卒業であるなど共通点が多い[14]。
政策・主張
[編集]前任の中西が取った方針を受け継ぎ、「日本海側のトップランナーに」「個性・交流・安心」を旗印としてインフラの整備を推進した[14][15]。退任前最後の知事会見では、在任中のおもな成果として金沢城の復元、国立工芸館の誘致、能登空港の整備、のと里山海道無料開放、北陸新幹線の金沢開業などを挙げたほか[16]、木場潟公園や金沢港クルーズターミナル整備、石川県立音楽堂設置、ルビーロマン開発などを手がけた[15][17]。
発言
[編集]- 北朝鮮国民を餓死させないと
- 2017年6月21日に開かれた県内町長の会合で「県内の原子力発電所を攻撃するのなら北朝鮮国民を餓死させないといけない」と発言した[18]。翌22日に記者団の取材に発言を撤回したが、23日には北陸3県の朝鮮総連の各県本部が共同で谷本宛ての抗議文を提出し、謝罪を求めた[19]。
- 息抜きしたければ、石川県へ
- 2020年3月27日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて東京都が週末の外出自粛要請を出す中、「息抜きしたければ、無症状の人は(東京から)お越しいただければ。新幹線もあり、2時間半で来られる」と述べた[20]。しかし4月10日に石川県内でも複数の集団感染が確認されたことを受け、「クラスターが発生して局面が大きく変わった。石川に極力入っていただかないようにする」「気持ちを入れ替えて対応しなければいけない。率直に反省しなきゃいけない」と陳謝した[21][22]。
- ドラッグストアはわが世の春
- 2020年5月28日、ドラッグストアチェーンゲンキー社長と県庁で面会した際、新型コロナウイルス感染拡大を巡り「ドラッグストアはいいですね、わが世の春みたいなもんでしょう」、「(石川県は)東京に次いで2番目ですわ。北陸3県が上位独占して」と述べた[23]。この発言を巡って同年6月2日の会見で「堅調な業績を評価させていただくつもりだったが、適当ではなかった」「(感染拡大の)大きなヤマを越えて安定した状況になり、気持ちの上でもほっとした部分があった」と釈明し、「反省している。不徳の致すところで、言動には十分注意を払いたい」と答えた[24]。
- 製造業は借り慣れている
- 同年6月8日、県内の温泉地関係者らと県庁で面会した際に、新型コロナウイルス感染拡大の影響で売り上げが減少した事業者支援として県が創設した融資制度を巡り「製造業の皆さんは、借りられるものは借りておこうと(する)。借り慣れているから」と発言した[25]。
- コロナといろんな意味でご縁
- 同年6月23日、2月に社員の新型コロナウイルス感染が確認された繊維メーカー小松マテーレの中山賢一社長兼会長がマスクを寄贈するために県庁で面会した際、「コロナといろんな意味でご縁があったということですね」と発言した[26]。
不祥事
[編集]- 2020年12月16日、新型コロナウイルスの感染が広がり、5人以上での会食の自粛が政府より要請されているなか、金沢市内のホテルで後援会の総会を開催。自身を含め90人が参集した。これについて谷本は「感染対策をとり問題ない」と釈明した[27]。
選挙結果
[編集]当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 1994年石川県知事選挙 | 1994年3月27日 | 48 | ―― | 無所属 | 28万8085票 | 46.92 | 1 | 1/3 | / |
当 | 1998年石川県知事選挙 | 1998年3月15日 | 52 | ―― | 無所属 | 35万8426票 | 81.43 | 1 | 1/2 | / |
当 | 2002年石川県知事選挙 | 2002年3月17日 | 56 | ―― | 無所属 | 33万2669票 | 84.46 | 1 | 1/2 | / |
当 | 2006年石川県知事選挙 | 2006年3月19日 | 60 | ―― | 無所属 | 30万4763票 | 82.64 | 1 | 1/2 | / |
当 | 2010年石川県知事選挙 | 2010年3月14日 | 64 | ―― | 無所属 | 29万6628票 | 66.71 | 1 | 1/4 | / |
当 | 2014年石川県知事選挙 | 2014年3月16日 | 68 | ―― | 無所属 | 28万5242票 | 68.91 | 1 | 1/3 | / |
当 | 2018年石川県知事選挙 | 2018年3月11日 | 72 | ―― | 無所属 | 28万8531票 | 79.94 | 1 | 1/2 | / |
脚注
[編集]- ^ “谷本前知事、名誉県民に 県庁で贈呈式 /石川県”. 朝日新聞. (2022年7月26日)
- ^ a b c “知事のホームページ - 知事のプロフィール”. 石川県 (2018年4月25日). 2020年4月1日閲覧。
- ^ 『石川県公立大学法人人事について』(PDF)(プレスリリース)石川県公立大学法人、2022年3月30日 。2024年2月29日閲覧。
- ^ 石川県の公式サイトでは、本籍は石川県となっている。
- ^ a b c d 川辺真改 (2022年1月25日). “「現代の加賀藩主」の散歩に同行した 52歳下の記者が感じたこと:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年2月11日閲覧。
- ^ “石川知事に谷本氏、全国最多に並ぶ6選”. 産経新聞. (2014年3月16日) 2015年2月26日閲覧。
- ^ “石川知事に谷本氏7選 現職最多”. 日本経済新聞. (2018年3月11日) 2018年3月12日閲覧。
- ^ “谷本氏、現役最多7選 石川県知事選、投票率最低39・07%”. 北國新聞. (2018年3月12日). オリジナルの2018年3月12日時点におけるアーカイブ。 2018年3月12日閲覧。
- ^ “石川県知事7選 多選制限の法制化を 地方政治の活力低下を映す”. 日本経済新聞. (2018年3月13日) 2019年6月27日閲覧。
- ^ “谷本氏、8選不出馬を表明 「一定の役割終えた」―石川知事選”. 時事通信. (2021年11月17日) 2021年11月17日閲覧。
- ^ “谷本・石川知事、知事選不出馬表明 全国最多の7期「一つの区切り」”. 朝日新聞. (2021年11月17日) 2021年11月17日閲覧。
- ^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日
- ^ “谷本知事、会見中倒れる 石川県庁、インフルエンザと診断”. 北國新聞. (2014年1月6日). オリジナルの2014年1月6日時点におけるアーカイブ。 2020年3月9日閲覧。
- ^ a b 佐々木たくみ「石川・谷本知事、きょう退任 インフラ整備推進に支持 総務省出身2人で59年 施策、県全域への配慮映す」『日本経済新聞』2022年3月26日。2022年3月28日閲覧。
- ^ a b 「谷本氏、不出馬の意向 来春の知事選 17日会見で表明「石川飛躍の基盤整えた」」『北國新聞』2021年11月17日。2022年3月29日閲覧。
- ^ 川辺真改「28年の谷本県政に幕「文化の集積に磨きをかけた」」『朝日新聞』2022年3月26日。2022年3月29日閲覧。
- ^ 「在任中に陸海空の交流基盤が完成…任期満了迎える谷本石川県知事28年の歩み 時にはハプニングも」『石川テレビニュース』2022年3月25日。2022年3月29日閲覧。
- ^ “北朝鮮国民「餓死させねば」 石川知事、ミサイル問題で”. 朝日新聞. (2017年6月21日) 2017年6月21日閲覧。
- ^ “石川)朝鮮総連が抗議文 谷本知事「餓死」発言を批判”. 朝日新聞. (2017年6月24日) 2020年3月9日閲覧。
- ^ “石川県知事、外出自粛の東京都民に観光アピール 地元は困惑”. 毎日新聞. (2020年4月1日) 2020年4月25日閲覧。
- ^ “石川県で複数の集団感染 新規感染は最多20人”. 日本経済新聞. (2020年4月10日) 2020年4月25日閲覧。
- ^ “「都民が息抜きしたければ県内に」知事発言に批判続出、一転して「県に極力入らないで…」”. 読売新聞. (2020年4月12日) 2020年4月25日閲覧。
- ^ 石川知事、ドラッグストア社長に「わが世の春」と発言(2020年5月29日、サンケイスポーツ)2020年5月30日閲覧
- ^ 石川県知事「反省している」 コロナ「わが世の春」発言 - 共同通信 2020年6月2日
- ^ 特別融資制度巡り石川県知事「製造業は借り慣れているから」県が創設の制度の説明中に発言(2020年6月9日、福井新聞)2020年6月24日閲覧
- ^ 谷本石川知事「コロナとご縁」 社員感染の会社がマスク寄贈で(2020年6月23日、福井新聞)2020年6月23日閲覧
- ^ 【朝日新聞】2020年12月30日付「石川県知事が90人超で会食 「感染対策とり問題ない」」
外部リンク
[編集]- 石川県公立大学法人
- 谷本正憲 石川県連合後援会 - ウェイバックマシン(2022年2月3日アーカイブ分)
- 谷本正憲 (masanori.tanimoto) - Facebook
公職 | ||
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先代 中西陽一 |
石川県知事 公選第13 - 19代:1994年 - 2022年 |
次代 馳浩 |