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賀陽宗成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

賀陽 宗成(かや の むねなり、生没年不詳)は、平安時代前期の官人朝臣

経歴

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備中国賀夜郡の人。貞観4年(862年)3月、左大史正六位上で本貫を左京に移す[1][2]

同6年(864年)1月、外従五位下に叙され[3]、同6月、安房守[4]。同7年(865年)5月、備後介に任じた[5][6]。他の事績は不明。

官歴

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『日本三代実録』による。

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』巻第六、清和天皇、貞観4年3月4日条
  2. ^ 阿部 2009, 213頁.
  3. ^ 『日本三代実録』巻第八、清和天皇、貞観6年正月7日条
  4. ^ 『日本三代実録』巻第九、清和天皇、貞観6年6月28日条
  5. ^ 『日本三代実録』巻第十、清和天皇、貞観7年5月16日条
  6. ^ 阿部 2009, 214頁.

参考文献

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  • 経済雑誌社 編『日本三代実録』経済雑誌社〈国史大系第4巻〉、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617