賀陽 宗成(かや の むねなり、生没年不詳)は、平安時代前期の官人。姓は朝臣。
備中国賀夜郡の人。貞観4年(862年)3月、左大史正六位上で本貫を左京に移す[1][2]。
同6年(864年)1月、外従五位下に叙され[3]、同6月、安房守[4]。同7年(865年)5月、備後介に任じた[5][6]。他の事績は不明。
『日本三代実録』による。